第3章 《エルヴィン》現実逃避 ※
静かな部屋にペンを走らせる音が響く。
エルヴィンは自室へ持ち帰った仕事を続けていた。
消灯時間を過ぎた兵舎内は、シンと静まり返っている。
もとより、エルヴィンの自室は執務室と同じ幹部棟に位置しているため、そもそも夜は人の出入りが少ないのだが。
エルヴィンはペンを置いて一度ぐるりと肩を回すと、時計に目を向けた。
もう10時か……
すると部屋の外の廊下から、コツコツと足音が小さく聞こえてきた。
その足音はゆっくりと一定のリズムでこちらに近づいてくる。
エルヴィンの心臓はその音を聞いただけで小さく跳ねた。
「エルヴィン団長。わざわざドアの前までお出迎えですか?」
「あぁ。君の足音はすぐに覚えてしまったよ。」
「ふふ、いつもありがとうございます。」
ドアの前で止まった足音を合図にエルヴィンがノブを回すと、そこに立っていたのは柔らかな表情で首を傾げるエマ。
エルヴィンが冗談めかしたように言えば、彼女は小さな笑い声を漏らした。
昼間は決して見せないその表情と仕草に、エルヴィンの心臓はまたもドキリと反応する。
エルヴィンにエスコートされエマは部屋の中へ入った。彼女の腰にはエルヴィンの大きな手が添えられている。
エマを部屋の奥へ招き入れながらエルヴィンは問いかけた。
「何か飲むか?」
「団長…本当はそんなことが聞きたいわけではないのでは?」
クスリと笑いながらそう言うエマ。
彼女の言う通りだ。
そもそもここには簡易キッチンもないし、水差しに入った飲み水くらいしか置いてない。
そんな状況で“何か飲むか?”なんて、まるで相手に飲ませる気がないのはバレバレだった。
「君を前に余計な小細工は不要だったな。
しかしエマ……」
エルヴィンはエマの腕を優しく掴んで自分と向かい合わせると、余裕そうな表情を浮かべる彼女の頬に手を添え親指でそっと撫でる。
「二人きりの時はそう呼ばない約束だっただろう?」
「そうでしたね…エルヴィン。」
口角を上げて微笑むエマに吸い寄せられるように顔を近づけるエルヴィン。
「敬語もダメだといつも言っているじゃないか。」