第9章 《リヴァイ》 初めて涙を流した日
目元を覆う腕に染み込む生ぬるい水分。
小刻みに震える体から重みが遠のいた。
「っまって…おねがい、殺して…」
もうこんな人生終わらせてしまいたいと思っていたのに。
無尽蔵のように湧き出る涙はどうにも止まってくれなくて。
「生憎俺は、まだ生きる意志のある人間を殺す趣味はねぇ」
「ちがっ…!私は死にたい、死にたいの!」
必死に訴えるも返ってきたのは大きな溜息。
「いいか?本当に死にたい奴はその間際でも泣かねぇ。てめぇのその涙も震えも、まだ生にしがみつきたいって証拠だ。そんな奴は殺せない。」
男はとうとう立ち上がると背を向けナイフをしまった。
起き上がることすら忘れ唖然としていたが、コツと足音がして我に返る。
ー待って-
気がつくと私は、遠のく背中にしがみつくように声を上げていた。
「…ひとりに…しないで……」
**
“ひとりにしないで”
そう言った女はまだ泣いていた。
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになったのも気にせず手を伸ばす女に、俺は去ろうとした足を止める。
着衣は乱れ、そこから覗く病的なまでに白い肌には無数の痣や裂傷の後。
こいつを見つけた時からそういう世界で生きている人間だとは把握していたが、その中でもかなり酷い扱いを受けていた事が伺えた。
「…名は?」
そもそも何故助けたのか。
ここではこいつのような人間は他にもごまんといる。
普通なら助けない。助けてもその先の人生まで世話出来ないと分かりきってるからだ。
ここはそういう世界。自分が生き抜くために切り捨てなければいけないものが多すぎる。
「……エマ」
だが何故だかこいつは放っておけなかった。
あのまま買い主の男に嬲られるのを見過ごせなかった。
口では死にたいと言いながらこいつの心は生きたいと叫んでる。
もしこいつにその気があるなら助けてやってもいいと、そこまで俺は考えていた。
「歩けるならついてこい」
そう言い歩みを進めると背後でペタペタと足音が鳴り始めた。
少し振り返れば怯えるような、でも縋りたいような瞳がこちらをじっと見つめていた。