第10章 すれ違い
よく、覚えてない。
それから彼女と何を話したのか、すぐに、出てったのか。
正直よく覚えてない。
考えること自体を、頭が拒否した。
あたしはそれに従っただけ。
だからよく、覚えてない。
「遅かったね?具合悪い?」
トイレから出たら、壁に凭れながら少しだけ屈んだ透に顔を覗きこまれて。
咄嗟に顔を反らしたところで、記憶が鮮明になったように思う。
「ライちゃん?」
「あ……」
怪訝に曇る、透の表情に。
取り繕うように手を伸ばした。
「どーしたの?」
屈んだままで、あたしが透に触れるのを許しながら、やっぱり透の笑顔は優しくて。
この笑顔が、嘘だなんて思いたくない。
「とーる」
「ん?」
「したい」
「ライちゃん?」
「透と、したい」
面食らったように瞬きを二、三度、しながら。
ふ、って。
さらに透の両目が優しく細められた。
「仰せのままに?」
思えば。
ここに来て2ヶ月。
あたし、ふたりにただただ甘やかしてもらうばっかりで。
そのうえ大金が口座にはちゃんと振り込まれてる。
お母さんの入院費も、兄弟たちの生活も、全部保証されてて。
今まで寝る間も惜しんでお金を貯めていたあの頃が、正直記憶に薄くなってるのも事実。
ぬるま湯にどっぷりと全身浸かって。
楽を覚えた。
もう、お金のことも、小さな弟たちの面倒も見なくていい。
自分の好きなことして、何にも考える必要なんてなくて。
今の生活がどんなに恵まれていて、贅沢か。
知っちゃったから。
ずるいって言われても仕方ないと思う。
ふたりに飽きられたら、あたしもたぶんポイって、棄てられる。
たぶん斗真にはもう、見切りつけられた。
『他の男と寝た』あたしを、たぶん許してないんだ。
なら。
それなら。
今あたしがここにいられるための砦は。
透しかいない。
そう、打算が働いたのも。
事実だ。