第1章 馴れ初め
「ハヅキ」
「……………」
「ハヅキ、」
お礼になにしてほ・し・い?
うーん、名前で呼・ん・で☆
……頭の中でチープな、B級、いやC級にも満たないようなやっすい恋愛ドラマのシーンが流れる。
いやいやいや礼として名前で呼んで欲しい?なんだそれ。ミスタ・ラインヘルツは何を言っているのだろうか。
先程手の甲にされたキスの戸惑いがスッと醒めたような気がした。別の戸惑いに、変わったけど。
彼は促すかのようにまっすぐにエメラルドを私に向けている。
ミスタ・ラインヘルツは命を助けてくれた恩人でもあり、この店のお得意様でもあり、要求を飲んでも良い気がする。
……ただなんか、ここで距離感を保っておかないと、なし崩し的に距離を詰められていくような、そんな気配がするのだ。
「…そ、そんなのお礼になりませんよー。あ、そうだ!お礼として今度ご飯に行きましょう!ご馳走させてください。うん、それがいい」
「私にとっては充分に礼となり、嬉しい所存だ。どうか、これからはクラウスと呼んで欲しい。…嫌だろうか?食事の誘い感謝する。傷が癒えた頃に共に」
彼は変わらず目を反らさない。
要求を流そうとしたのに、流しきれずに更に食事の約束まで上乗せしてしまっている。
完全に対応に失敗している。それに、彼は諦める気はさらさらない。
「クラウス、さん」
「うむ」
名前で呼んだ瞬間、彼はパアアッと顔を輝かせ嬉しげに頬笑む。
私が彼を名前で呼ぶことがなんで礼になって、そしてどうして喜んでいるのだろうか。
わからないことだらけだけど、1つ分かっていることはある。
……彼の笑みは、とても心臓に悪い。