第3章 水
「そう、それがきっかけで。
まだ会ったこともないけれど、菖蒲様はとても素晴らしいお方なのね。
あなた個人の功績と勇気をしっかりと称えてくださった。」
「ああ、その通りだ。」
菖蒲様を褒められて、俺も嬉しくなってしまう。
人として扱われず、国賊とまで罵られていた侍を、姫様が護衛として雇ってくださる。
誰かの素っ頓狂な妄想、そんな類の話だろう。
「本当に素敵なお姫様だわ。」
彼女は独り言のように呟いて、髪をかき上げた。
それは何か別の意味合いを含んでいるような言い方で、俺は素直に肯定できずに黙る。
そしてまた見せる、悲しみをはらんだ笑顔。
どうしてこんなにも悲しそうに、でも優しく微笑むのだろうか。
「豊水にもね、お姫様がいたの。
あの頃は今の来栖と同じくらいの年齢、かしら。
高貴でありながら決しておごり高ぶることはしなかったの。
駅内をしょっちゅう散歩しては、民をねぎらって回ったわ。
お殿様に内緒で、一緒に農業を手伝ったり、子供たちと泥遊びしたりしてね…
気品高くも気さくで、本当に素敵なお姫様だったわ。」
確かに菖蒲様のようだ。
とても素敵な姫なのだと、鋭華の口ぶりからも伝わってくる。
彼女も慕い、そして憧れていたのだろう。
しかし、彼女の語り口が全て過去形であることに嫌な予感を抱く。
「でも…たった一晩ですべておしまいよ。
あんなに弓の訓練をして、そして猟銃も学び始めて…
何年もかけて教養を身に付けて、皆が憧れる素敵なお姫様になられたのに…
カバネに一回だけ噛まれた。
それだけでもう、全ておしまい。
ためらいもなく自決袋を使って亡くなったわ。」