第38章 “またね” ※
外へ出ると湿った土の匂いがした。
薄暗い。
見上げると空は薄灰色だった。今しがた顔を出したはずの太陽はどこにも見当たらない。
昨夜はしっかり月が見えていたというのに、寝ているうちに雨が降ったようだ。
エルヴィンは兵舎の一角にある花壇を覗き込んだ。
注意深く見ると数個、細い茎の先に白く小さな花が咲いている。
さらによく見れば、今にも開きそうなまでに膨らんだ蕾がそこかしこについていた。
まるで舞い落ちた雪のような、純白で可憐な花。
これが全部開花したら、この場所だけ銀世界になるのだろうかと、季節外れの景色を想像する。
見せてやりたい。
丹精込めて育てた花々が魅せるであろう、美しい雪景色を。
「珍しいな」
振り向けばミケが立っていた。
ここに自分の姿があるのが珍しいと言いたいのだろうか。それを言うならミケだってそうだ。
「お前こそ珍しいんじゃないのか?ミケ」
そのまま口に出すと、ミケは目を逸らしフンと鼻を鳴らす。その手にはジョウロが握られていた。
そういえば昨夜、ミケが花の水やりをしているとペトラが…
「なるほどな。そういうことか」
「…咲いたんだな」
「昨日は開花していなかったのか?」
「あぁ」
ミケはエルヴィンの隣に来ると花に水をやった。繊細な茎をそっとかき分け、根元へ。エルヴィンは一歩引いてその様子を見ていた。
やり慣れている。やはり昨日の話は本当だったのかと、大きな背を見ながら思った。
「エマが見たら喜ぶだろうな。」
「…そうだな」
「出発はいつだ?」
「昼過ぎだ。今頃はまだ寝ているだろう。」
「フン、そうだろうな。出発の時にチラッと見れるといいんだが。」
「残念だがそれはできない。二人には正門からではなく裏門から出発してもらうつもりだ。」
いささか慎重になりすぎじゃないのか?と言われたが、念には念を。
エマはもう調査兵団どころか、この壁内にすらいないことになっているのだ。
ここで誰かに見つかりでもしたら、今まで彼女を匿っていた努力が水の泡となる。
さらに運が悪ければ、再び彼女の命の脅かすことに繋がるやもしれない。
そういう危険の芽はできるだけ摘んでおかなければ。
それがエマを無事に“故郷”まで送り届けるための、自分の最後の使命なのだから。