第37章 帰還、残された時間
エマはペトラのそばへは行かず、屋上の真ん中で立ち止まり天を仰いだ。
肌を擽る夜風はちょうどいい程度の冷気を含んでおり、少し口にしたアルコールと、リヴァイの大人っぽい仕草を見たせいで火照ってしまった体が心地良く冷めていく。
「星、すごい綺麗だね。落ちてきそう。」
「エマのふるさとはこんなに星は見えないの?」
「ここまでの星空を見ようと思ったら、人気のない山奥にでも行かないと無理かなぁ。」
「そうなの。…広いわよね、空って。一体どこまで続いてるんだろうって思う。」
その一言にエマは首を起こし前を向いた。
エマに背を向けたまま手摺にもたれかかるようにして、遥か彼方を見つめたままのペトラ。
エマはやっとその隣に並んだ。同じように手摺に両腕を乗せて、少し錆び臭い鉄の柵に体重を預ける。
「どこまでも…だよ。きっと。終わりなんかなくて、永遠に、ずっと続いてる。」
「もしそうなら世界もどこまでも続いてるのかしら?私、壁の向こうはもちろんだけど、この空を追いかけてみたいな。」
ブロンズの瞳が月明かりを受けてまばゆく光った。東の空を見れば、今日は半月が顔を出している。
「追いかけて、ずっと遠くまで…旅をしてみたい。」
「素敵だね。その時は彼と?」
エマが問えば、ペトラはくしゃっと笑って頷いた。
「壁の外の巨人がいなくなったら一緒に旅をしようって、それが私たちの夢なの。だから、その夢を叶えるまでは何がなんでも生きなきゃってね!」
「そっか、」
その夢、叶うといいね。
そう言いたかった口をエマは閉じた。
言葉は便利だけれど、時として不便だ。
心の底から思ったことを伝えたいと思っても、それを言葉にした途端に驚くほど軽く、陳腐に聞こえてしまうことがある。
今がまさしくそれだと思った。
この世に生を受け、この世で生きるのが当たり前の人と、そうでない自分との間の、埋められない差。
だから、
「ペトラにとって幸せな未来がくるように、ずっと祈ってる。」
“ありがとう”と眉を下げ微笑むペトラの顔が、切なく胸を締めつける。