第35章 届かぬ掌 ※
“エマの素性を知らなかった”と言えば自分は助かるかもしれないが、それではエマが助からない。
あと気になるのは、尋問中に憲兵が言っていた“エマが壁外人類である証拠も掴んだ”という話。
ハッタリかもしれない。だがもしもそれが本当で、エマの身元を証明するようなものなら、誤魔化すのは絶望的となる…
エマを一刻も早く救ってやりたい。中央の疑心をどうにか晴らしたい。
その気持ちが焦燥感を煽る。冷静になれと何度も言い聞かせるが、エルヴィンはなかなか妙案が浮かばずにいた。
「そろそろやめてあげよっか?まだ道のりは長いんだし、初日から飛ばしすぎても面白くないしねぇ。」
甲高い声がしてエルヴィンは我に返った。
ヴェローニカと、拷問具が乗ったワゴンを押しながら憲兵が二人、向かいの牢屋から出ていく。
「団長さんも、また明日ね。」
わざとらしい笑みを貼り付けた女はエルヴィンを一瞥し、薄暗い通路を闊歩しながら去っていった。
シンと静まり返った牢獄には見張りの憲兵一人と、向かいのエマだけ。
エマは濡れた髪を拭うこともせず、床に座り込んで動かなかった。
一一一一一一一一一一一一一一一一
拷問後は放心状態だった。
憲兵にパンを詰め込まれたり、見られながら用を足したような気もするが、記憶が途切れ途切れだ。
知らない男の前で醜態を晒す屈辱感も薄れていた。とにかく疲弊し、どうでもいいとさえ思っていたかもしれない。
明日も明後日もその次も…拷問に耐えなければならない。
最初はたった5日間だと思っていたのに、今では気の遠くなるような5日間だと感じてしまう。
けれど、団長を救うためには…
早くも精神は崩壊しかけていた。そんな中でエマの心を唯一支えているのは“エルヴィンを救いたい”、その思いだけだった。
鼓膜の奥で微かに金属の擦れる音がして、エマはゆっくり目を開けた。鉄格子の向こうで人影が動いている。
「エマ」
その声に、廃人のように横たわっていたエマは我に返り飛び起きた。
鉄格子の向こう側からこちらを見る男…エルヴィンは口元に人差し指を当てている。
“静かに”
そういう意味だとすぐに分かり、エマは反射的に息まで止めた。