第35章 届かぬ掌 ※
エマは憲兵2人がかりで押さえつけられ、意識が飛ぶギリギリまで水中に頭を沈められていた。
胸が張り裂けそうだった……エマがこんな思いをするくらいなら、自分が拷問される方がよっぽどマシだ。
漸く顔を上げることが許され、肩で息をしながら耐えている少女は、絶対にこんな人生を歩むはずではなかった。
苦しむエマが目と鼻の先にいるのに、手を差し伸べてやることすら叶わない。ただじっとエマから目を逸らさず見つめることしか。
目の前で繰り広げられる惨状と何もできないもどかしさに、正常な思考はみるみるうちに奪われていく。
苦悶の表情を浮かべるエルヴィンにヴェローニカは言った。
「団長さん、従順で有能な部下を持てて羨ましいわ。この子、団長さんを守るために必至なのよ?健気よねぇ本当。」
「……」
愉快そうに話す女をエルヴィンはじっと見上げた。
……やり慣れている。この女はきっと、普段からこういう仕事をこなしているのだろう。
「どう?何か話す気になったかしら?」
いつの間にかエルヴィンの目の前まで来たヴェローニカは、エルヴィンの顎を掴んで顔を近づけた。
媚びるように小首を傾げた女の唇が、エルヴィンの唇へあと数センチの距離まで縮まる。
「早くしないと、あの子死んじゃうかもよ?」
甘い声で囁く女の後ろに激しく咳き込むエマが映る。呼吸はゼェゼェと本当に苦しそうで
「ねぇ?いいの?」
「……っ、」
気が狂ってしまいそうだ。
「アッハハハハ!苦しそうな顔も色気があって素敵ね!本当に…いい男。」
触れるか触れないかだった唇が離れる。顎から名残惜しそうに手が落ちて、女はエマの方へ戻った。
落ち着け…冷静になれ…この女の挑発に乗っては相手の思うツボだ。
どうにかしてこの場をやり過ごさなくては…
自分とエマ、どちらかが真実を口にした時点で双方が助からないのは明白だ。
エマは壁外へ追い出され、自分は団長の名を失うかもしれない。調査兵団の信用だって無くなるかもしれない。
しかし黙秘を続けたところで状況は変わらないだろう。
エマが5日間あの拷問に耐えたら終わりだと言うのもきっと嘘だ。恐らく次の拷問が待ち構えている。
そうして完全に追い詰めるまで、彼らはやめないだろう。