第25章 神隠し
「限りある“今”を大切に。
互いの目に映る姿を、聞こえる声を、触れ合える時間を大事に過ごすんじゃよ。」
老婆は二人の顔を交互に見ながら微笑んだあと、ゆっくりと踵を返した。
丸い背中と、その後ろを尾を立てながら歩く黒色が少しずつ小さくなっていくのをしばらく黙って見つめたあと、リヴァイはエマの顔を覗き込んだ。
「エマ。」
「兵長…」
ゆっくりとこちらを向く。
「こんな、ことって…」
目があったのは、信じられないという顔をしたエマ。
エマの気持ちは手にとるように分かった。
俺だって信じられないと思っていたからだ。
「あの婆さんは実話か分からないって言ってたが、お前の体験したことと重なる点がいくつかある時点で、全部が全部作り話って訳じゃねぇような気がしてならないな。」
「私も…そう思ってしまいました…」
口に出して言うとますます話の現実味が増す。
そしてそれに比例して、リヴァイの中に漠然と現れた焦りも色濃くなっていく。
こちらを見るエマの目は不安そうに揺らいでいる。
たぶんお互い同じようなことを考えているのだろう。
エマの前では口に出さないし出したくもないが、脳内では老婆の話がずっと繰り返されている。
この井戸からたどり着いた別の世界に居続けると、現世の記憶を全て失くしてしまう。
現世に戻ればいつか記憶は蘇るが、別の世界での出来事は忘れ去ってしまう。
この話が本当だとするなら…
エマは2つの世界を行き来できても、同時に2つの記憶を持ち続けることはできないということだ。
どちらかの世界で生きていくことを選べば、もう一つの世界の記憶は抹消される。
つまり、エマがこのまま元いたこの世界に留まることを選べば、俺との思い出も、俺という存在自体も忘れ去られてしまうというわけだ…
こんな話、信用したくない。
信用したくないが、話に出てきた男の体験とエマの実体験は重なることがありすぎる。
本当だと思いたくないのに、そう思わざるを得ない状況に愕然とする。
「リヴァイ兵長。」
自分の名前を呼ぶ声にハッとして、バラバラになっていた焦点が目の前に立つ少女にゆっくり合わさった。