第25章 神隠し
「…それで、その男はどうなった?」
口をぽっかりと開けたまま固まるエマの横で、リヴァイが問いかける。
「何十年も経って、彼の記憶はある日突然に戻る。
しかし愛しき女のことを思い出した頃には共に老いぼれていて、女は病に冒され目を開けることもできなくなっていた。
待ち焦がれていた恋人がついに自分のことを思い出してくれたというのに、女はその顔も声も聞けないまま息を引き取ってしまったんじゃよ。
……話はそこまでで、その後男がどうなったかまでは分からん。じゃが、男にとってはそれこそ気がふれてしまってもおかしくないほど酷な話だったじゃろう……」
遠くのほうを見つめながら“あぁそれと、”と呟く老婆の足元に、黒猫が甘えるように擦り寄る。
「男は現世の記憶を思い出したのと引き換えに、今度は三年間彷徨っていた場所での出来事をきれいさっぱり忘れてしまったらしい。
唯一覚えていることは、この井戸に落ちたあと長い間どこかへ別の場所にいたような感覚だけで、どこへ行っていたかも忘れてしまったんだと…そう話していたそうじゃ。」
「そんなっ」
しばらく固まったままだったエマが突然焦ったような声を上げた。
リヴァイはその様子を横目で見つつ、努めて冷静に、老婆に確かめるように言った。
「つまり話を纏めると…この井戸に飛び込めばどこか別の場所へ飛ばされ、戻って来れなければそのうちに現実世界の一切の記憶を失くす。
現実世界に戻ればいつかは記憶は蘇るが、今度はそれと引き換えに別の場所での記憶は消えて無くなるってわけか。」
「その通り。まさに神隠しのような話じゃろ?」
「…実際にあった話なのか?」
「嘘か誠かはわしには分からん。ただ古くから言い伝えられておるのは確か。だからここに住む人々は、その井戸に近づけばたちまち神隠しに会ってしまうのではないかと恐れているんじゃよ。」
老婆はそう言うと杖をトンとついて二人に向き直る。
「その井戸には近づかん方がええと思うが…どうするかはおまいさん達次第じゃ。何か特別な用があったからここへ来たんじゃろ?」
「ほう…見かけによらず察しがいいんだな。
忠告はありがたく受け取らせてもらうが、あとはばあさんの言う通り俺たちで決める。」
リヴァイがはっきりと言うと、老婆は目を細めた。