第16章 旅立ちの日
見下ろした先は、真っ暗な闇。
その奥底からはひんやりとした冷気を感じる。
この中に飛び込めば、次に目を開けた時に見えるのは、空まで覆い尽くしそうな程の高い壁が立ち並ぶ景色ではないだろう。
映画のセットのような石造り建築や石畳の道、松明の明かりなんて物ももうこの目で見ることはないだろう。
そして、“自由の翼”を背中に背負う彼らの姿をこの瞳に写すこともないだろう…
「…………」
不気味なくらい静まり返った暗闇へと身を乗り出し、一度、深呼吸をして真っ暗の先を見つめる。
もう涙は出なかった。
「……さようなら」
目を閉じ、ぽつりと呟いた言葉とともに、エマの身体は羽のようにふわりと地面を離れた。
フワフワと浮遊している。
時折頬を掠める風は、やはりひんやりと冷たい。
瞳を閉じたまま、全身の力を抜いてその身を任せた。
これで良かったのだ。
次に目を開けたら、あの平凡な人生を何事もなかったかのように歩んでいけばいいだけ。
閉じていた瞼をゆっくり開けた。
「!!?」
瞬間、エマは言葉を失った。
開いた目に映ったのは……
眼下に広がる、見覚えのある石造りの建物達。
石畳の街道を歩く人々、そして馬車。
井戸に落ちたはずなのに、記憶に新しすぎるその景色を見下ろしているのは、何故…?
「私、空……飛んでるの…?」
「あぁ…そうだ。」
うわ言のように呟やけば、頭上から聞き慣れた声が降ってくる。
その声を聞いたエマの目は限界まで見開かれた。
恐る恐る顔を上げると、目つきは悪いがとても優しい色をした瞳がこちらを覗き込む。
「……あ…」
喉元に絡みついた声を絞り出すのでやっとだった。
驚くほど、情けない声。
私はさっき、確かに暗くて冷たいあの井戸にこの身を投じたはず…
なのに、今その身を包み込んでいるのは暖かくて優しい腕。
そう、私が心から愛してやまない…
「リヴァイ、さん…」
目から涙が溢れた。