第60章 花屋夫人
「んっ、んんっ、」
目を見開いて、必死で俺の胸を押すアヤ、
人前で口づけられ焦っているが、俺は反対に落ち着きを取り戻した。
ササクレだった心がアヤの唇の感触と体温で穏やかになっていくのが分かる。
力の抜けて行くアヤの体を支え、唇を離した。
「っ.............」
「そのまま、静かにしておれ」
真っ赤な顔で、アヤは静かに頷いた。
「戯れ言を聞いている暇はないが、我が妻の頼みとあれば聞かぬわけにはいかぬ、そなたの話を一つだけ聞こう。申されよ」
顔と顔を突き合わせて話をするのは、兄弟を手にかけ、怒り狂って俺を責めた時以来か。
久しぶりに会ったが、目の前の女は、一回り小さくなったように思えた。
「..........目が........優しくなりましたね」
女の手が伸び、俺の頬に触れた。
「................っ」
「.......貴方が、心から愛する者と出逢い、その者と婚姻を結んだと聞いて、嬉しかった」
目の前の女の言動は、少なからず俺を動揺させた。
頬に当てられた手を払いたいのに、俺は、この手の温もりを知っている気がする。
自然と、アヤを抱く腕に力がこもる。
そんな俺の気持ちに気づいたのか、アヤも俺を優しく抱きしめ返した。
「ご婚姻の儀、誠におめでとうございます。私は、貴方の幸せをいつも願っております」
俺の頬から手を離し、女は深く頭を下げた。
「....................................」
今更どんな言葉をかけよと言うのか、女にかける言葉など出るはずもなく、俺は女から目を逸らし、愛しい者を見つめた。
「アヤ、シンを散歩させて戻るぞ」
「はい........あの、御母上様にお別れを言ってきます」
「おいっ、」
俺が止める前にアヤは女の元へと駆け寄って行った。