第60章 花屋夫人
「今朝の事、何か、信長様からお聞きになったか?」
秀吉さんにしては珍しく、そわそわと落ち着きなく歩き回りながら、話を切り出した。
「いいえ。気になったので私も聞いたんですけど、答えてはくれませんでした」
「はぁ〜、そうか、お前でもだめか」
今度は頭を抱えながら、更に歩きを早めた。
「何があったのか、聞いてもいいですか?」
今朝の信長様の態度といい、目の前の挙動不審な秀吉さんといい、何かおかしい。
「あー........、そうだな......いや、....そうだな」
秀吉さんは、暫く自問自答を繰り返していたが、やがて決心した様に、私の前にドカッと座り、口を開いた。
「.............実は、信長様の御生母であられる土田御前様が、もうすぐこの安土に来られるそうだ」
余り大声で話せないのか、秀吉さんの声は小さくて、よく聞き取れなかった。
「えっと....ごめんなさい。よく聞こえなくて。信長様の何が来るって言いました?」
「だから、信長様の御母上様がこの安土にもうすぐいらっしゃるんだ」
御母上様......母上.....お母さん?
「...........え、........えぇーーーーー!」
「バカっ!声がでかい!」
「っ、ごめんなさい。え、いつ?どうやって?え?」
混乱した。
「いや、俺も今朝急に知らせを聞いて.......信長様は、お前も聞いていた通り追い返せと言われるし、けどなぁ....仮にも御生母であられる御前様
を追い返す事は........信包様もご一緒だしな」
秀吉さんはまた頭を抱えながら背中を縮こまらせた。
「あの、私、余りそこの所をよく知らなくて、そこから教えてもらえませんか?」
親兄弟の話は、お市の事以外タブーとされているのでは無いかと思うほどに、信長様は何も話さないし、私も聞いてはいない。
と言うか、ここの武将たちは皆、親兄弟の事は多く語らない。
家康は、幼い頃に人質に出され、家族を知らずに育ったと聞いたし、政宗も、伊達家当主として、親兄弟間での苦渋の選択に迫られる出来事があったと聞く。
この乱世の宿命なのか、私のいた時代では余り考えられない、血を分けた家族間での争いが、少なくはないみたいだ。