第59章 奥の務め
部屋へ入るとまだ作業は続いていた。
恐らく、俺がここに座って貴様を待っている事も、もう忘れているのだろう。
真剣な眼差しで一針一針着物を縫って行くアヤ。
無理矢理、京から安土へと連れて来られ、怯えるように過ごしていた貴様が初めて見せた笑顔が、この針子の仕事についた時であった。
戯れに貴様の部屋を覗いた時、貴様があまりに良い目をして針子作業をしている姿に見惚れたのを覚えている。
奇跡のような女
五百年先の未来から来た事も、無理矢理手に入れた俺に、限りない愛を与えてくれた事も、人としての感情を教えてくれた事も、貴様の存在全てが、俺には奇跡のようだ。
パチンッ
糸を切り、針を針山に刺すと、アヤはその着物を手に持ち上げて、満足げに微笑んだ。
「.............出来た」
達成の喜びで輝かせるアヤの目が、これから俺の言葉で悲しみの涙に濡れるのかと思うと、また判断が鈍りそうだったが、もう...........
縫い上げた着物を手にしたまま、アヤが俺の方へと歩いてきた。
「お待たせしました」
「ふっ、俺を待たせることができるのは、貴様と朝廷の輩位だ」
「す、すみません......でも、.....あの、これを信長様に......」
アヤは、はにかみながら、手にした着物を俺に差し出した。
「............................羽織り?」
「そうです。羽織りです。どうしてもこれを今日中に信長様にお渡しして、お伝えしたい事があって..........」
「?......急がずとも、まだ戦に行くまでひと月ほどあるが...」
意図が掴めぬ。
羽織りを縫ってくれた事よりも戸惑いが勝り、アヤをただ見つめた。