第32章 トラウマ
私を抱き抱えたまま絨毯の上に腰を下ろした信長様は、何も言わずにずっと抱きしめてくれている。
「水を飲むか?」
「いえ、大丈夫です。もう少しだけこうしていて下さい」
何が自分に起こっているのか、自分でも分からなかった。
今は、こんなにもくっついていたいのに、さっきは触られるのも躊躇してしまった。
「ふふっ、信長様の胸の音が聞こえます。ゆっくりで、安心します」
大好きな匂いを吸い込みながら、その胸の音に耳を寄せる。
「貴様の音は凄いぞ、早くてうるさい」
「誰のせいだと思ってるんですか?」
「分からんな」
笑いながら、顔が近づいてくる。
目を閉じて、その口づけを受けようとした時、
「失礼します。朝餉をお持ち致しました」
女中さんの声が襖越しに聞こえた。
「っ、」
また、さっきの様な悪いことをしている様な気持ちが襲ってきて、私は信長様から顔を離してその膝の上から飛ぶように離れた。
信長様は少しだけ驚いた顔をしていたけど、すぐに元に戻って、置かれた朝餉を食べ始めた。
「今日は、遅くなりますか?」
異様な気まずさを払拭したくて話しかける。
「いや、なるべく早く終わらせて戻る」
信長様が普通に返してくれたので、内心ホッとした。
「アヤ、体調が悪いなら無理することはない。今日まではどうせ、天主から出ない方がいい。先に寝ても構わん」
「はい。」
信長様は最後のご飯を掻き込む様に食べると、お箸を置いて立ち上がった。
「では行ってくる。無理はするな」
ちゅっ、と触れるだけのキスを落として天主を出て行った。