第2章 燃えたおつきさま
――ああ、またこの夢か。
一気に汗が吹き出す熱い炎の中に、ぽつりと置かれたグランドピアノ。
そして誰も弾いていない筈なのに、何故か奏でられるメロディに、業火に包まれながら熱さも忘れて耳を傾けた。
昨夜の静謐さはなくなり、思わず足が踊ってしまいそうな、陽気な曲調。もしここに奏者がいたとすれば、鍵盤の上で跳ねるように指を踊らせていたことだろう。
その光景が目に浮かぶ明るい音楽なのに、何故か心は鬱然として、無性に泣きたくなった。
どうして、こんな結末になってしまったんだろう。後悔なんてしていない。何ひとつ、後悔なんてするつもりじゃなかったんだと、ふとそんな言葉が頭に浮かんで、すぐにピアノの音に掻き消された。
「俺は、あの子に。あの、まだ小さな探偵くんに。俺の――」
聞こえたそれに、一筋涙が頬を伝った。
「――桃」
ふと、鼓膜を揺るがす心地のいい低音に意識が眠りの海から引き上げられた。
まだ朦朧とする意識の中、寝返りを打ちながら、あー……と掠れた声で返せば、もう一度名前を呼ばれる。
「おい、桃。起きろ」
「うーん……あとごじかん……」
「規模がおかしいんだよ、早く起きやがれ」
「あとごじゅっぷん……」
「今日の天気は広辞苑、」
「おはようございます」
物騒な天気予報が流れる午前八時。それが聞こえた瞬間、ぱっちりと目を覚まして、すぐ隣で呆れた顔をする松田さんに挨拶をした。
「早い……」
「早くねぇ。堕落した生活送ってると地獄に落ちるぞ」
「天使だから落ちないんだよ私は」
「俺が落とす」
「悪魔か?」
昨日、両親が帰ってきてから血塗れの制服とともにあったことを話せば、両親も私のメンタル面を考慮して、今日は休みなさいと言ってくれた。割と行く気満々だったのでそう言われて少し戸惑ったけれど、まあこれで明日はゆっくり寝てられると思ってたのに。そう目の前の悪魔に文句を言って、ついと唇を尖らせる。
「ンな顔してもキスしてやらねーぞ」
「悪魔のキスなんていりませーん」
「広辞苑の他にも何かお望みか?」
「さっせんした」
相変わらずぽんぽんと嫌味を言い合いながら、汗で湿った髪の毛をかきあげる。
……また、夢を見ていた気がする、けど。どんな夢だったのかは覚えていない。