第2章 燃えたおつきさま
「ただいまあ」
いつもよりずっと間延びした声で、誰もいない筈の部屋に向かって呟いた。
しかし、普段ならすぐに帰ってくる声が今日に限って聞こえず、ただいまあと連呼しながら家を練り歩く。すると、数拍置いて仏間の方から「おかえ――」という、途中でぶった切られた迎えの挨拶にちらりとそちらを見る。
「おまっ、その格好どうした!?」
「転んだ……?」
「はあ!?」
仏間でだらだらと寝転がっていた松田さんは、私の格好見るや否や、光の速さですっ飛んできて。ズレたサングラスを戻すこともせずに、矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。
「転んだって、どこ怪我した!?」
「ひ、膝」
「……誰がやりやがったんだ」
「いや転んだんだって、一応」
「あの言ってた幽霊の野郎か?」
「違いますけど」
「待ってろ、今すぐ俺が――」
「落ち着けワカメグラサン」
「誰がワカメグラサンだこら」
「いやなんでそこだけ聞こえんの!?」
すこーんと飛んできた広辞苑が直撃した頭を抱えながら、こちらが都合の悪い部分だけ反応をした松田さんを睨みつける。しかし彼はいまだに鼻息荒くして、私とは随分違った温度差で「何があった」と険しい表情を浮かべいた。
「実はちょっと死にかけて」
「は?」
「歩いてたら突然、目の前に飛び降り自殺したサラリーマンが落ちてきてさ。あと数センチズレてたら多分死んでた」
色々衝撃的すぎて――主に松田さんの取り乱しようが――結構な内容を淡々と話すと、松田さんが野干玉の目を丸く見開いた。
「……それで、怪我は」
「それはびっくりしてその場に崩れ落ちちゃって、膝擦りむいただけ。あとこの血はそのサラリーマンので、私のじゃないよ」
そう言って血塗れの制服を引っ張り「取れると思う?」と苦笑すると、松田さんはくしゃりと顔を歪めて、盛大なため息を吐く。それに、やっぱり取れないよなあ、と乾いた血を爪で触れば、細かい赤粉が宙を舞った。
「……焦った」
「はは、だろうね」
「……あんま心配させんじゃねーよ、バカ桃」
顔を片手で覆って俯く松田さんに、ごめんなさいと素直に謝罪する。確かにちょっと驚かせてやろうとか思っていたが、まさかここまで松田さんが動揺するとは思っていなかった。
心配した、と聞いて嬉しいような申し訳ないような。それでも緩む頬は正直だ。