第29章 カモミールの庭で
「それは…」
レイが記憶をたどるかのように空を見上げる。
「一週間くらい前の話だ。今日みてぇにおふくろがイルザと茶会をひらいていたんだ」
「おふくろ…」
マヤは思わずレイの言葉を繰り返してしまった。
先ほどは確か “母上” と呼んでいたのにと、不思議に思ったからだ。
ただそれだけでマヤは他に何も言っていないのに、レイは少々焦ったようなそぶりで。
「いやその… 親父やおふくろ本人には、父上母上って呼ばないとうるせぇんだよ」
「別に気にしてませんよ? おふくろって私の前で呼ぶってことは友達みたいで嬉しいくらいです」
「……まぁそういうことだな。オレとマヤのあいだで堅苦しいのはなしだ」
「そうですね。あっ ごめんなさい、話の腰を追っちゃいましたね。つづきをどうぞ」
「……そのときにオレはちょうど手が空いていたから無理やりおふくろに同席させられてな。イルザ相手におふくろが嬉しそうに、オレがトロスト区にまで… その、なんだ…」
言いにくそうにするレイ。
「……マヤの尻を一途に追いかけてたって話をして…」
レイの顔が赤くなっている。
「そのときにおふくろがイルザを引き合いに出したんだ。“一途といえばイルザも亡くなったラント侯爵にみさおをたてて、どの縁談も全部断っちゃうんだもの” ってな。おふくろは自分の話に夢中でろくにイルザの顔も見てねぇから気づいちゃいねぇが、オレはそのときのイルザの表情を見ちまった。すぐにピンと来たね。あれは侯爵にみさおをたててる顔じゃねぇ。他に好きな男がいるに違いねぇ」
「……それがリックさんだと…?」
「あぁ。イルザはラント侯爵とは政略結婚で愛はなかったはずだ。早くに侯爵が病死しちまったから、おふくろをはじめ色んな人が再婚をすすめたらしい。でもどんな好条件でも断っちまう。リックを呼んで茶会を開催しすぎだと噂が立ったことがあった。そしてオレの見た、侯爵でない誰かを一途に想っている顔。オレはその誰かはリックだと思う」