第28章 たちこめる霧に包まれたひとつの星
「そうですよね…」
マヤは少し考えてから、パッと顔を輝かせた。
「ヘングストさんなら、アフロディーテがいるかどうかわかるはずだわ!」
「あぁ、そうだね。馬爺さんに訊けば一発だ」
どうやらハンジはベテラン馬丁のヘングストのことを “馬爺さん” と呼んでいるらしい。
「兵団の馬が牧場主さんの趣味で古代神話の神々の名前なのはわかったけど…、どうしてハンジさんの新薬がアフロディーテなんですか?」
「………」
一瞬困ったような顔をするハンジだったが、すぐに頭をフル回転させた。
「それはこうさ、アフロディーテは愛と美の女神だろう? だから自分の気持ちに素直になれる恋の応援薬には、愛の女神の名がふさわしいと思ったんだ」
「なるほど! ぴったりな名前ですね」
言葉のとおりに信じてくれるマヤの素直さが愛おしい。
……アフロディーテの愛は精神的な愛よりも肉体的な愛の意味合いが強いのだが、どうやらマヤは知らないみたいだ。なぜだ?
「マヤ、古代神話は読んだことがあるのかな?」
「もちろんです、児童文学ですけど。“いにしえの神々” というタイトルだったかな?」
……納得。子供向けだから性愛は描かれていないって訳か。
ハンジの心の声などいざ知らず、マヤは幼少時に読んだ “いにしえの神々” を思い出して声を弾ませている。
「児童文学だからかな? アフロディーテは愛の女神で “美” はなかった気がします。アルテミスもさっきハンジさんは “月光に輝く美しき処女の狩人” と言ったけど、“月の女神” でした。省略されてるのでしょうか?」
「うん、そうじゃないかな」
「子供向けにわかりやすいように描かれてるんですね。……処女の狩人? なんかすごくないですか? え、どういうこと?」
このままマヤが深く掘り下げていき、アフロディーテが愛と美と性の欲望の女神であり、媚薬の別名 “aphrodisiac(アフロディジアック)” の語源だと知られては何かと都合が悪い。ハンジは慌てて話を変えた。
「それはそうとマヤ、新薬が恋の薬だとわかった訳だし、飲んでくれるよね?」