第27章 翔ぶ
きつく噛んだ下くちびるが痛いのか、胸が痛いのか…。マヤにはもうわからない。
そして一歩ごとに近くなるのは、またもや “白”。リック・ブレインの紅茶専門店 “カサブランカ” だ。
真っ白な扉の向こうには、上質な紅茶を満喫できる空間が待っている。
それを知っているのは、このエレガントな店に足を踏み入れた者だけ。
……たった二度の訪問だったけれど、とても有意義で素敵な時間だったわ…。
マヤはもともと良い姿勢の背すじを、さらにぴんと伸ばして両方のかかとをつけた。胸を張りあごを引いて、まっすぐに前にあるカサブランカを見すえて “気をつけ” の姿勢を取ると、とん!と左胸にこぶしを当てた。
……リックさん、ありがとうございました。いつまでも…、お元気で…!
心の中で頭を下げると、くるりときびすを返した。
大粒の涙がこぼれ落ちそうになっても、兵服を着ている今は泣く訳にはいかない。
広場まで戻ってくると、立ち止まった。
もう行きたい店は行き尽くした。心残りはない。
……あとは。
マヤが最後にゆっくりと行きたいところは、ただひとつ。
足が向かう、街の外れの小高い丘へつづく山道に。
すぐに嘘のように、街のにぎわいから静かな樹々の気配に包まれる。
もうすぐあの樫の木が見える…!
想いが強くなるにつれて、マヤは駆け出していた。
ヘルネの街を見下ろすことのできる小高い丘。故郷の丘とどこか似ていて、新兵のころから幾度か足を運んだ。
丘のシンボルのように大きな一本の樫の木が立っている。そのまわりには青々と緑が生い茂り、夏らしい白い小花が風に揺れている。
夏の青い空も、じきに夕暮れ時を迎えるとあって、白い雲が少しずつ橙色と桃色に染まりゆく様子が見てとれる。
マヤはまっすぐに樫の木へ行く。
ここに最後に訪れたのは、もちろんリヴァイ兵長と過ごした時間を今一度全身全霊で感じるためではあるが、それだけではない。
大切な幼馴染みのマリウスのことを忘れた訳ではなかった。