第26章 翡翠の誘惑
「あぁぁ!」
髪結いが突如叫んだ。壁の時計を見て青い顔をしている。
「私このあとは、キャヴェンディッシュ侯爵邸に行かなければならないんです!」
わめきながら色相環の描かれた本やら、ヘアブラシやらを鞄に放りこんでいる。
「急いでますので、これで失礼します!」
あっという間に荷物をまとめると走って控えの間を出ていった。
その慌ただしい一連の動きに呆気にとられていたマヤとペトラがはっと我に返ったときにはもう、髪結いは待合室のリヴァイとオルオにも急いで出ていかねばならない理由をまくし立てたのちに飛び出していったあとだった。
ばたん! と乱暴に閉められた扉を呆然と見送ったオルオが、髪結いの落ち着きのなさに苦笑いをしていると。
「お待たせしました!」
控えの間から出てきたペトラが、オルオに誇らしげに首飾りを見せる。
「どう? すごいでしょ? レイさんが私に合わせて選んでくれた宝石」
その言葉を聞いて、ペトラの胸元でキラキラと光っているインペリアルトパーズに真っ先に目を奪われたオルオだったが、すぐに髪結いの仕上げたアップスタイルの髪型にも気づいた。
「……別人みてぇ…」
いつもと違った少し大人っぽく上げた髪、ふんわりと揺れるおくれ毛が色っぽくもあり。あでやかに発色しているオレンジ色のドレスとキラリと輝く首飾りがまぶしいほど。
……いや、違う。まぶしいのはドレスでも宝石でもなくてペトラだ。
オルオが思わず見惚れていると。
「別人って何よ! まぁいいわ。それだけ似合ってるってことにしといてあげる」
上機嫌のペトラはオルオの別人発言にも寛容だったが。
「……違うわ! そんな宝石なんかつけても豚に真珠だからな!」
綺麗に着飾っているペトラに思わず心を奪われてしまったことへの照れ隠しに、オルオは叫んだ。
「ちょっと! 何よ、それ! いくらなんでもひどくない!?」
今にも喧嘩を始めそうな二人のあいだを切り裂くように飛んできたのは、リヴァイの低い声だった。
「お前ら、いい加減にしろ」