第26章 翡翠の誘惑
おだやかで冷静沈着なセバスチャンにしては、どこか慌てているような感じがしてマヤはつぶやいた。
「どうしたのかしら…?」
すぐにレイが快活に答える。
「なぁに、ちょっとした問題が発生したんだろうよ。舞踏会を開催すりゃ、よくあることさ」
「ちょっとした問題ってなんすか」
オルオが訊く。
「手配したもんが時間どおりに来ねぇとか、待合室で待ってたやつらが飲みすぎて泡を吹くとかだよ」
「へ?」
レイはクリスタルガラスのテーブルの上の紅茶と菓子をちらりと見ながら、にやりと笑った。
「ここには酒はねぇが、他の待合室には酒のボトルが何本も置いてあるからな。調子に乗って出来上がっちまうやつも一定数いるんだ。大人しく酔いつぶれてくれればいいんだが、なかには暴れるやつもいるしな…」
「「「へぇ…」」」
舞踏会が始まる前に酔っぱらってしまう貴族もいると知って、マヤたちは目を丸くした。
「……大変なんですね、舞踏会をひらくのも」
マヤの言葉にレイが苦笑いをする。
「まぁな。ただで酒が飲めるとあって、押しかけてくる輩もいるからな」
レイの頭には、酒癖が悪くて有名な伯爵や男爵の顔が幾人か浮かんでは消える。
「へぇ…。ファインのおっちゃんみたいな貴族もいるんだ」
ペトラがつぶやけば、オルオの顔がぱぁっと明るくなった。
「あぁぁ! ファインのジジィな!」
「ちょっとペトラ、オルオ。何、そのファインって…?」
マヤの質問に二人同時に口をひらいた。
「近所の八百屋がファインっていうんだけど」「ファインの親父が酒好きでよ」
声が重なったことに気づいて、オルオがペトラに説明を譲った。
「そのファインの店主がお酒に目がなくてさ、どこかで飲み会があるって聞けば呼ばれてもないのに押しかけるのよ。で、酔って暴れてさぁ。そんでもって次の日には野菜を持ってお詫び行脚だって」
「そんな人がいるんだ」
マヤは自分の故郷のクロルバ区の知り合いには、楽しくお酒を飲む人はたくさんいるけれど、暴れるのは聞いたことがないなと思った。
「貴族でも八百屋でも酒には勝てねぇんだな」
レイがシニカルに笑うと、三人も同意して大きくうなずいた。