第26章 翡翠の誘惑
ミケの言った “くんたま” で、マヤの少し曇っていた表情はやわらかくなった。
「くんたま…! そうでしたね、あと… ヤギのお乳で作ったチーズ」
「シェーブルチーズだな」
「そう、それです。王都の居酒屋に兵長と一緒に行けばいいって分隊長はあのとき言ってましたけど、兵長は今回は行かないんですよ?」
「………」
ミケは一呼吸置いた。
「……そうだが。リヴァイはいなくても食いもの目当てで行けばいいじゃないか」
今、この連絡船の中であのときの分隊長とのやり取りを思い出していると、一瞬 “間” があったような気もしてくる。
……やっぱり分隊長は兵長が同行すると知っていたんだわ。
それなのに “リヴァイはいなくても食いもの目当てで行けばいい” と言っていた。
どうしてだろう?
それから兵長本人だって。
休憩の時間に紅茶を飲みに、分隊長の執務室にいつもどおりに来ていたけれど、いたって普通。いつもどおりだったわ。
分隊長の執務の補佐が終わって、夜の兵長の執務の時間になって私が兵長の執務室に行ったときも。
ひとつ質問してきただけだった。
「マヤ、舞踏会はどうだ?」
「……はい?」
質問の意味がわからなくて、首をかしげた。
「……行くのが待ち遠しいか?」
「いえ…。任務ですし。団長はわざわざ言わなかったけど、やはり今回も資金集めが絡んでいるでしょうし…。レイさんに失礼のないように気をつけるだけです」
「……そうか」
これが今回の王都行きに関するたったひとつの会話。
どうしてこのとき、兵長も王都に行くんだって教えてくれなかったのかしら?
何か重要な任務があるとかで、当日までは一切秘密だったとか?
ううん、違うわ。
それだったら堂々と同じ連絡船に乗らずに、秘密裏に王都に行くのではないのかしら。