第26章 翡翠の誘惑
「そういう経緯で夜な夜な研究室にこもるようになったんだけど、毎日徹夜している訳ではないんだ。大概は日付が変わったころには解散しているし、遅くなっても丑三つ時くらいまでかな。そのあたりまで研究室にこもった日は、俺が大浴場に行ってから自室で寝るとベッドに入るのは下手をしたら明け方なんてことも」
「うわぁ…、それはきついですね」
「あぁ、それでさすがに分隊長も考慮してくれてね、研究で遅くなった夜は分隊長の部屋で風呂に入ってソファで寝ろと」
「……え?」
なんでもないことのようにモブリットはさらりと述べたが、若い男女が同じ部屋で風呂に入って寝るとは、マヤには大変なことのように思えた。
「あはは、それが普通の反応だよな。でも俺は分隊長にそう提案されたとき、全くなんとも思わなかったんだ。ただひたすら合理的で真っ当な意見だと思った。研究室と分隊長の私室は同じ階にある。移動時間10秒かかるかかからないかといったところだ。部屋には小さいが風呂もトイレもあるし、そこで済ませるのが一番無駄がないからな」
「それはそうですけど…」
もちろんマヤは、ハンジの私室に当然のようにいるモブリットと現実に対面しているし、二人のあいだに一般的に言われるような “男女の仲” など関係ないことは重々承知ではあるが、予想とは違ったのである。
マヤは、そんな男女の仲を超越した二人でも最初は部屋に二人きりでいることに躊躇し、緊張し、意識したのではないかと考えていた。そして男女の仲にならずに長い時間をともに過ごしていって、徐々に今の関係を築いていったのかと。
……まさか最初から、全然意識していなかったなんて思いもしなかったわ。
「素晴らしい提案だったよ、実際。午前2時、3時を過ぎてからの幹部棟を出て一旦自室に戻ってからの大浴場への往復は、正直きつかったからね」
「それはそうでしょうね…」
皆が寝静まっている真夜中に一人、大浴場まで外を歩いて行くモブリットの姿を想像して、マヤは深くうなずいた。