第26章 翡翠の誘惑
そんなタゾロの心情など全く知らないマヤは、久しぶりに会える愛馬への想いが、厩舎が大きく見えてくると加速して跳ねるように歩いていた。
ちょうど厩舎の入り口付近では、サムとフィルの弟子コンビが馬たちに夕飼いを配っているさなかだった。
「サムさん、フィルさん!」
マヤの呼びかけに顔を上げたサムは、首に巻いていたタオルで顔を拭いた。
「おっ、マヤ! アルテミスに会いに来たか?」
「はい」
「もう食べ終わってるとこじゃないかな? 最初に配ったから」
今度はタオルを鉢巻のように額に巻いているフィルが、教えてくれた。
「そうですか。ありがとうございます」
「「腹でもさすってやれよ!」」
にかっと笑って忙しそうな様子で仕事に戻った二人に会釈をしてから、アルテミスの馬房のある厩舎に入った。
いつもなら奥に位置するアルテミスの馬房まで歩いていくあいだに、両サイドに立っている馬たちが “ヒヒーン! ブルルル” と歓迎のいななきで出迎えてくれるのだが、今日は比較的静かだ。
それは彼らの夕方の餌である飼い葉… いわゆる “夕飼い” が配られた直後だからだ。
早食いでもう飼い葉桶を空っぽにして、食後のまどろみの時間を満喫している馬もいるし、もぐもぐとゆっくりゆっくり噛みしめるように食べている馬もいる。
それでも厩舎によく顔を出すマヤはどの馬とも顔馴染みであるからして、みな飼い葉を食べながら、もしくは食後のんびりとしながらも “ブヒヒン、ブルルル” と声を出してくれた。
「ふふ、みんな… ごはん美味しいね」
左右の馬たちに声をかけながら、まっすぐとアルテミスの待つ馬房に進んだ。