ヤマネコ-ノ-ツガイ【アッシュ】BANANAFISH
第16章 それでも前へ
《アッシュside》
ふぅ、と息をついて俺はエイジに声を掛けた。
「…エイジ」
「え?」
「イベのとこへ帰れよ…、あのおっさん心配してるぜ」
「…たぶんね、きっとこれからもっと心配かけることになっちゃうな…」
エイジはグッと眉を寄せながら続けた。
「僕はたしかになんにもできないし、キミたちの足手まといになっちゃうかもしれないけど…今放り出して日本に帰ったら、ずっと僕はダメなまんまだって気がして…」
「?」
「前にも言ったろ…?僕は日本にいたころ棒高跳びの選手だったって」
「へえーっほんとかよ?人はみかけによらねーな」
「俺は知ってるぜ?…そのおかげで命拾いしたからな」
「でももう僕は……跳べないんだ」
「跳べない?なんで?だって跳んだじゃねえか、俺たちの目の前で」
「だから…そんな2、3メートルの問題じゃなくて…つまり選手としてってことで…」
「へえ…?色々大変なんだな、スポーツ選手の世界ってのも」
「それで落ち込んでた僕を伊部さんがアメリカへ連れてきてくれたんだ…だから僕はもう途中で放り出すのはやめにしたいんだ。何が起こるのか本当のことを、この目で見ておきたいんだ」
「…つまり3人3様ってわけだ、あとはおまえ次第だぜ?アッシュ。…それとユウコもな」
俺は眠るユウコに目をやる。
「……エイジ、」
「うん」
俺に気を遣ったのか、2人は立ち上がり部屋を出て行った。
しばらくおだやかな沈黙が続く。
「……久しぶりだな」
さっき顔を見た時はそれどころじゃなくて、ようやく落ち着いた今そんな言葉が口をついた。
伏せられたこの長いまつ毛が隠す黒い瞳を、会えない間に俺は何度思い浮かべたことだろう。
少し乱れた髪を束ねるゴムを指で挟みするりと解く。
すると、ふわりと甘い香りが漂った。
その香りに誘われるように、俺は無意識に顔を寄せていた。
唇に触れる直前
ユウコの目がゆっくりと開いた。
「!」
まずい
心臓が一気に暴れ出して、変な汗がじわっと滲む。
『……』
しかし、ユウコの目は虚ろで覚醒した様子はない。ゆるりとした瞬きのあと再び目を閉じた。
「……っ、」
俺は立ち上がりドアに歩き出す。
その背中でユウコの声を聞いた気がした。