第9章 prego【ナランチャ】
「本当に本ッッ当に感謝してるわ。ナランチャが居なかったら私、どうしてたか分からないもの」
「……」
「え、えーと…その、じゃあ、おやすみ」
「…おう」
背後から聞こえた挨拶には何とか返事をしたものの、正直彼はもういっぱいいっぱいだ。
仮眠室のさほど大きくはないベッドで、チヒロと背中合わせに寝ているこの状況。
あぁ、何でこんな事になったんだ。
脳内で意味を成さない自問自答が繰り返される。平静を装った振る舞いとは裏腹に、心臓がばくばくと音を立てている。
いや、落ち着け、別に何ともねえ。
そう素数だ、素数を数えて落ち着くんだ。…素数?ソスウって何だ…?どんな数字だっけ……?
ああくそ、もういい羊だ、羊でも数えよう。
このまま目ェ瞑って、じっとしてりゃあすぐ寝ちまうハズだ。それでいい、そうすりゃ後は…
「──ナランチャ」
唐突に彼女が呼びかける。
今まで聞いたこともない甘い声。
思わず身体を起こすと、チヒロのとろりとした瞳がこちらを見つめている。
覗き込んだその奥に、確かな熱が透けて見えた。
熱さに、魅入られる。
ああ、頭がくらくら、する。
磁石が引き合うように、2人の距離が縮む。
「………チヒロ………」
誘われるまま、ナランチャは緩く開かれた彼女の掌にするりと指を絡ませた。
握り返す感覚に、背骨の辺りがじんと痺れる。
彼は白く、しっとりとした肌に唇を寄せ───…
「うわあああああああッ!ちッ違う!違うッ!!!」
「きゃああああッ!!??えっ何、何ッ!?」
突如絶叫したナランチャに驚いたチヒロも大声を上げてパニックになる。
まさか自分の妄想に自分でビックリしましたとは言えない彼は、「何でもねえよ」を繰り返した。
「ほッ、ホントに何でもねーって!いいから早く寝ろよ!」
「でもあんな大声出すなんて、何かあったんじゃあないの?」
「う…イヤ、それは…えーと、あッそう!映画!オレも映画の事思い出しちまったんだよ!それで思わず驚いちまって…」
我ながら苦しい言い訳だと思ったが、意外にも彼女は目を丸くした後、ぱあっと笑みを浮かべた。