第3章 vagheggiare【ブチャラティ】
あの涙を目にした日から、ブチャラティはチヒロに単なる上司と部下以上の感情を抱いてきたし、折に触れてその好意をそれとなく示してみることもあった。
だが当の彼女はというと、彼を自らの恩人として、まるで家族のように慕っているのだ。
家族と言っても夫にするような態度であれば何も問題はないのだが、チヒロのそれは明らかに親兄弟に向けるのと同じような心持ちであるらしく、それが更に彼をもどかしくさせた。
「はは、まぁー分かるぜ!チヒロの気持ちはよォ」
「僕ら全員、ブチャラティには恩がありますからね」
ミスタ、フーゴ。気持ちは有り難いが、今チヒロに同調するのはやめてくれ。ますますオレと彼女の気持ちが離れていくじゃあないか。
「そうよ。そんな人が上司なんだから、コーヒーのひとつやふたつ、いくらだってサービスしちゃうってものよ」
ああ、終いには"上司"とまで言い始めた。
いやその通りだ、全くもってその通りなのだが、チヒロ、できれば君からその言葉は聞きたくなかった。
そんな事を気にしなくてもいい、という言葉が口から溢れかけたが、他5人の前ではそうもいかず、慌てて飲み込む。
「あら?ブチャラティ、髪に埃がついてるわ」
言いながらチヒロの身体が唐突に近づいて、心臓が跳ねた。まずい、顔に出ていなかっただろうか。
髪を掬う指先が微かに、柔らかく頰を擦る。
無意識に呼吸を止めていた自分に気づいて、周りに分からないように息をついた。
「はい取れた、これでOK」
「すまない、自分では気づかなかったよ」
平然と返しつつも、胸の内は真逆だ。
彼を身内のように感じているらしい彼女は、いつもこうして何の躊躇いもなく距離を詰める。
その度に必死で平静を装うのだが、もう一層の事分かりやすく取り乱してしまった方が、彼女に想いが伝わるのではないか──等と馬鹿げた事を考えて、ブチャラティは内心苦笑した。
仮にもギャングチームのリーダーともあろう者がこの有様とはな。
ここはイタリアーノらしくストレートに気持ちをぶつけてしまっても良いのだが、今の状態で行動を起こしても彼女を驚かせ、困惑させるだけだろう。
まずは"男性"として意識されなくては。
全くどうしたものか、と結論の出ない思案にくれていると、ふいに声がかかった。