第3章 それぞれの夜
「……貴方はお母さんのこと知ってるの?」
「この墓にいるぞ」
「……どんな人だったの?」
興味津々だとばかりに目を輝かせるフレイアの傍に男は腰を下ろすと、おもむろに手を伸ばす。
「そうだなァ……」
フレイアの頭から頬を手がゆっくり滑り落ちていく。ひとしきりフレイアの頭や顔を撫でまわした男が、フッと息を吐いて笑った。
「海を愛しすぎて脆くなった馬鹿な女だよ」
「なんで第一声が暴言なのよ。お母さんは凄く優しい人だったって聞いてるわ」
「ああ、優しい……よく出来た人間だったよ。おれが言ってるのは海の民としてどうだったかという話さ」
「興味ない」
「なぜ? あいつはマイアである以前に海の民なんだぜ?」
「関係ないもの」
はっきり言いきったフレイアを物珍しそうに目を細めてみる男。面白いとばかりに口許の笑みを絶やさない。
「何が関係ないんだ?」
「人間を見るときに、その人の肩書や人種なんか関係ない。そんな大きな括りじゃあ一人の存在が見えない。そんなもので私は他人を否定したくない」
「……そんなの理想論だぞ」
「理想は描かなければ現実にならないのよ。それに『海はすべてを平等に許容する』んでしょう?」
「ああ、そうだな」
「でも、私にはそんなことできない。嫌いなものがあるから。だからせめて、一人一人と向き合っていこうって決めたの」
「……」
暫くじっと真面目な顔でフレイアの瞳を眺めていた男が、黙って頭を掻きながら目線を逸らす。
「どうやら父親は馬鹿じゃないらしい」
「え、お父さんも知ってるの?」
「いや、見たことない。しかし、お前がマイアと同じことを口にしながらも違う『関わり方』を見つけられたのなら、お前を育てた父親は学習したってことだ」
「なにを?」
「平等は残酷だってことを、さ。お前もすぐわかるよ。自分の肉体に戻ればな」
男の言葉に、フレイアは自分が今、肉体を持たない存在なのだと思い出して青ざめる。
「帰り方が分からない」
「大丈夫だ。身体が落ち着いたら自然に戻る。ここでのことは夢だとでも思っておけ」
「一生忘れなさそうな夢ね」
「……そうだな」
随分久しぶりに他人と話した気がする、と独り言のように小さな声で言うと男が立ち上がった。