第35章 毒
何故俺なのかと、家康は首を捻る。もし光秀に何あった場合、安土の皆がさえりを放っておかないはずだ。散々慰めた後、争奪戦になりかねない。
恐らくさえりに惚れていることを知った上での発言なのだろう。腹立だしいことこの上ない。だとすれば答えは決まっていた。
長い沈黙の後、家康は口を開く。
「お断りします」
「なに!?」
驚く光秀に、家康は畳み掛けるように、一気に思いを吐き出した。
「さえりの幸せはあんたの隣に居ることでしょ。悔しいけれど、さえりを見ていればわかりますよ。それでも、もし光秀さんに万が一の事があれば、その時は託す託さないではなく、俺は自分の意思で、さえりを心底惚れさせてみせます」
光秀は目を丸くした後、少しホッとしたような表情を見せた。しかしそれは見間違いかと思う程に一瞬の出来事だった。
「そうか」
光秀が口角を上げる。
その瞬間、家康は気付いた。
――しまった。まんまと乗せられた。
ギリ、と唇を噛む。
万が一の事があるまでは、さえりに手を出さない。そう宣言させられたようなものだ。
「……卑怯ですね」
「悪いな。卑怯は得意なんだ」
口では悪いと言いつつ、微塵も悪いと思っていなさそうな口調に、家康は悔しさが込み上げる。
「さえりが何であんたに惚れたのか理解に苦しみます」
「俺もだ。いい趣味とは言えないな」
それを聞いた家康は、はーっと、わざとらしくため息をついて見せた。その行為が光秀には微塵も効かない事はわかっているが、そうせざるを得ない気分だった。
と同時に少し胸のつかえが下りた気がした。胸に秘めていたさえりへの想いを吐き出したからかもしれない。そんな気持ちにさせたのが光秀の策略だということに気付いて、家康はもう一度ため息をついたのだった。