第35章 毒
「苦くないんですか?」
さえりが眉間に皺を寄せながら聞いてきた。確かに苦い。しかしその程度、表情に出さないくらいはできる。
――ああ、もう隠さなくていいのか
そう気付いた光秀は、思いっきり顔をしかめて見せた。
「この味は何とかならないのか、家康。苦過ぎるだろう」
「無理です。我が儘言わないで下さい。3杯目なんですからそろそろ慣れて下さい」
「そうは言ってもな……3杯目? 2杯目だろう?」
光秀は記憶を辿るが、2回しか飲んだ覚えはない。家康がしまったという表情をした後、ため息をついた。
「1杯目は光秀さんが朦朧としている時に、さえりが飲ませたんですよ。口移しで」
少し悪戯めいた顔で、家康がさえりを見やる。つられて光秀もさえりを見た。さえりは僅かに頬を染めながらも、少し罰の悪そうな顔をしていた。口移しで飲ませたと言うのは本当のようだ。成る程、道理で『苦い』とはっきり味の感想を言っていたわけだ。
「更に言えば、光秀さん、うわ言でさえりの名前を呼び続けて、手を離さなかったんですよ」
「家康っ、ちょっと!」
何かの仕返しだろうか、家康がからかってくる。珍しい光景だ。それに反応してさえりが恥ずかしそうに声をあげている。
「さえり。ありがとう」
礼を伝えると、さえりは急に照れたように笑った。
「だが……すまない、覚えてないんだ」
口移しも名前を呼んだ事も覚えていない。それか少し申し訳なくて、薄く笑った。
「いいえ。あの状態なら覚えてなくて当然だと思います」
さえりがゆっくりと首を横に降る。
「あっ、私、口直し用の水を汲んで来ますね」
「ああ、ありがとう」
さえりが立ち上がりいそいそと天幕を出ていった。
急なさえりの行動に、光秀は目で追うことしか出来なかった。怒っていると言うわけではなさそうだ。家康を見ると、同様に不思議そうな顔をしていた。