第33章 あなたがこの世に生を受けた日 <彼目線>
信長様への報告を終え、ようやく御殿へと戻ってきた。天主には信長様だけではなく秀吉もおり、予想より話が長くなってしまった。秀吉が天主を出た所まで小言を言ってくるものだから、適当にいなして帰ってきたのだ。
(よくもまあ、あんなに小言がポンポン出てくるものだ)
自分がポンポン嘘をつく事は棚に上げ、しきりに感心する。
頭を切り替え、仕事の続きをしようと文机に座り、硯箱を開けた。
「ん?」
出掛ける前には無かったものがそこに入っていた。光秀さんへ、と書かれた文と、何やら丸いものが2つ。それを手に取る。
(これは、文鎮か? 重さからすると中身は石か……もしや、あのつまずいたときのか!?)
思わずふっと吹き出す。文鎮はそれぞれ水色桔梗と燃えるような真っ赤な紅葉の刺繍がされた布で丁寧にくるまれていた。そして文には――
(今までの感謝と愛の言葉か)
温かな心地が胸に広がる。
(ここまでしてくれるとは予想外だ。正直驚いた)
「九兵衛」
近くに控えているであろう九兵衛を呼ぶ。
「何で御座いましょう」
「お前の仕業か?」
硯箱を指差して確認する。さえりが全てを単独で行ったとは考えにくかった。
「いいえ、私は何も。すべてさえり様が自らなさった事」
にこやかに述べる九兵衛の言葉は嘘ではないだろうが、暗に助言したであろうことを示していた。
「……食えない男だな、お前も」
流石は俺の部下、と褒めるべきだろうか?
「――だが、ありがとう」
「勿体ないお言葉」
九兵衛は恐縮するかのように頭を下げた。九兵衛が下がった後、さえりからの文を読み返す。
(返事を書かなければな)
花のような笑顔のさえりを思い浮かべながら、今あるありったけの想いを俳句にして文にしたためる。それを書くときには贈られた文鎮を使った。
(愛しすぎて……時々狂いそうになる)
したためた文をさえりが見るであろう裁縫箱に入れ、立ち上がる。俺は俺の仕事をしなければ。さえりから貰った文を大切にしまい、溢れる想いを糧にして屋敷を後にした。