第32章 あなたがこの世に生を受けた日 <後編>
暗くなり始めた道を九兵衛とさえりは馬に乗りひた走る。遅れまいとさえりは必死で九兵衛に付いていっていた。
「大丈夫ですか? さえり様。もうすぐ着きますから頑張って下さい」
「はぁはぁ……、はいっ」
目的地は安土からそう遠くない場所だった。しかし乗馬初心者のさえりが到着する頃には、辺りは真っ暗になっていた。
「あそこです」
九兵衛が指差した先を見ると、木々の間に、細い月に照された白い着物がうっすらと浮かび上がっていた。間違いない、光秀だ。
「九兵衛、遅かったな。……さえり?」
九兵衛から少し遅れて現れた馬上のさえりを見て、光秀が目を見張った。
「光秀さん、はぁはぁ、無事ですかっ!?」
急いで馬から降りようとするのを、光秀が支えてくれる。さえりは光秀の無事が嬉しくてそのまま飛びつき、光秀も優しく抱きしめてくれた。
「ああ無事だ。むしろお前のほうが無事ではないように見えるが、それにしても何故。どういうことだ九兵衛」
光秀が九兵衛を振り返り、眉を寄せる。
「私からの贈り物です」
「は……?」
「光秀様はまだ事後処理をされるおつもりでしょうが、誕生日の今日を一緒に過ごす約束をされているのでしょう? でしたら後は、この九兵衛にお任せを」
九兵衛が深々と頭を下げる。光秀は黙ってその姿を見ていた。静寂が辺りを支配する。やがて観念したかのように光秀が口を開いた。
「……わかった。後は任せた」
その後の行動は早かった。光秀と九兵衛はさっと打ち合わせを済ませると、光秀はさえりを馬に乗せ、自分もその馬に飛び乗った。
「九兵衛さん、ありがとうございます!」
「言ったでしょう。私共もお祝いしたいと。さえり様のお力添えのお陰です。後はお任せしましたよ」
「任せて下さい!」
「行くぞ」
光秀が馬の腹を蹴る。馬は全速力で駆け出した。手を振る九兵衛の姿はすぐに見えなくなった。
「まったく、良い子で待っていろと言った筈だが」
「ごめんなさい」
「お前達が結託すると手に負えないな」
馬上でさえりが振り落とされないよう片手でしっかりと支えながら、光秀がぼやいた。