第24章 誘惑
「光秀さん。おかえりなさい」
御殿に帰ってきた光秀にさえりは駆け寄った。
「ただいま」
光秀がさえりの頭を撫でる。さえりは心地よさそうに目を細める。
「色々と噂が立っているようだな」
それは誘惑の件が武将達に知れ渡ってしまい、好き勝手に噂されている事を指していた。
「あっ……それは不可抗力というか、わざとじゃないんですけど……嫌ですよね。ごめんなさい」
「いいや? 謝る事はない。方法は問わないと言っただろう」
光秀は笑みを浮かべる。
「それで、情報収集は上手くいったのか? どんな事をしてくれるんだ?」
「夕餉を作ったので食べてもらえますか? すぐ持ってきますね」
さえりが部屋を出ていく。光秀は、そうきたか、と思っていた。自分が考える誘惑とは少し違う。だが同時にさえりが何をしてくれるのか愉しみでもあった。うっかり理性を飛ばさないようにしないとな、と心に決める。
「お待たせしました」
「これは?」
「天丼です」
「てんどん……?」
膳の上には大きめの皿がひとつだけ乗っており、ご飯の上に揚げ物が綺麗に盛付けてある。
「光秀さん、いつも混ぜちゃうから、始めからひとつにまとめました」
戦国時代に丼物の概念はない。しかし現代の天丼とは似て非なる物だった。卵は手に入らず米粉で揚げた。
「いただこう」
揚げ物を頬張るとサクッと音を立てた後、口の中でほどけて広がった。効率もよく合理的で光秀はいたく気に入った。何よりもさえりの気持ちが嬉しい。
「また、この天丼を作ってくれ」
「はい!」
満面の笑みを浮かべるさえりを見て光秀は心がグラリと揺れる。さっきした決意があっさりと崩れそうになる。
これは……思っていた以上に手強いな……
光秀は改めて気を引き締めた。
「光秀さん、明日は空いてますか?」
「午後からなら時間がとれる」
「良かった! 市を見に行きませんか?」
「ああ、構わない」
光秀はすでに明日の約束を愉しみに感じている自分に苦笑した。