第24章 誘惑
さえりは安土城の天主へと続く長い廊下を歩いていた。手には信長宛の文を持っているが、それよりも誘惑の件について何を言われるかの方が気になっていた。政宗の事だ、面白がって話を大きくしてるに違いない。
さえりは信長の部屋の前で深呼吸をする。ドキドキと緊張しながら、襖を開ける。
「信長様、失礼します…!」
「来たか、さえり」
脇息にもたれながら信長はニヤリと笑った。
「あの、政宗が何を言ったか知りませんけど、欲求不満とか嘘ですからね!誘惑というのも光秀さんにずっと好きでいて貰うための手段であって、というかもう誘惑って表現が悪いですよね。そうだ、私は誘惑なんて一言も言ってないし、異性が惹かれる仕草を聞いただけで、そう、誤解なんです。だから…」
「待て。貴様何を言っている?」
「え?」
部屋に入るなり呼吸も忘れて一気に捲し立てたさえりは信長の一言で思考が止まる。そして恐る恐る確認した。
「政宗、来ていませんか…?」
「今日は来ておらんな」
さえりはガックリとうなだれた。間違いなく墓穴を掘った。もう墓穴でも何でもいいから穴があったら入りたい気分だ。
「さっきのは、忘れて下さい…」
「断る。先程の貴様の台詞で大体状況は把握した」
「ですよね…」
流石天下人、頭が良いわーと他人事のように考える。
「貴様に良い物をやろう」
信長は棚の奥から小さな壺を取りだし、中から金平糖を数個掬い上げ、さえりの手に乗せる。
「これ…?」
「金平糖だ」
「それは知ってますけど」
「俺の好物だ」
「それも知ってます」
さえりは手の上の金平糖をまじまじと見つめた。
「光秀の事を一番知っているのは貴様だろう」
「あ…」
「貴様はあの光秀を惚れさせた女だ。自信を持て」
「…はい」
さえりは手の上の金平糖を口に放り込む。噛むとカリリと軽快な音を立てて砕けた後、口の中に甘い余韻を残して消えていく。
「美味しい…」
「当たり前だ。秘蔵の金平糖を分けてやったのだ。秀吉には内緒だぞ」
「はい」
笑いながらさえりは信長宛の文を置いて立ち上がる。
「ありがとうございます。金平糖ご馳走さまでした」
ペコリとお辞儀をして部屋を出ていく。
「貴様の思うままにするがいい」
信長は一人呟いた。