第6章 The Lady is Cinderella.
下唇から飛び出た牙のような犬歯に、鋭い彼の眼光には、本能的に“怖い”と思ってしまうけれど、この小さなエメラルドの瞳は、気高く美しい。
抱きかかえられたことによって、ずいぶんと近くなったミスタ・ラインヘルツの顔に、気恥しさを覚えて目を伏せた。
そのまま私は車の後部座席に乗せられ、隣にミスタ・ラインヘルツが乗り込んだ。
「申し訳ありません、シートを濡らしてしまって」
革張りのシートが濡れた肌に張り付く。
腰を下ろした箇所にじわりと水が染みこんでいくような気がしてしまう。
「構わない。気にせずくつろいでくれ給え。ええと、ミス……お名前をお聞きしても宜しいだろうか」
「っ、申し遅れました。私は、ごひゃく……」
言いかけて、飲み込む。
『515』
もう捨てたはずの名前なのに、咄嗟に口をついて出てくるなんて。
「?」
「……いえ、アメリア・サンチェスと申します。ミスタ・ラインヘルツ」
「クラウスと呼んでもらって構わない。私もミス・アメリアと呼ばせてもらおう」
そう言ってミスタ・クラウスは穏やかな表情を見せた。
本当の名前を呼んでくれるのは、兄さんくらいだったからだろうか。
ミスタ・クラウスの口が私の名前を音にした瞬間、心臓がはねたような気がした。
「腕をかしたまえ、ミス・アメリア。手当てを」
「だい…」
「かしたまえ」
大丈夫です、と言おうとしたけれど、ミスタ・クラウスはそれを許さなかった。
大きな手を差し出され、有無を言わさない目で見つめられたら、素直に従うしかなかった。
ミスタ・クラウスは、物腰柔らかな方だけれど、なかなか強情なところもおありらしい。
「……ありがとうございます」
消毒のあとご丁寧に絆創膏まで貼ってもらい、お礼を言うと、ミスタ・クラウスは軽く頷いた。
「っくしゅん!」
「! ミス・アメリア、これを。袖が無くて申し訳ないが」
言ってミスタ・クラウスは、着ていたウエストコートを私に羽織らせた。
「いけません、汚れてしまいます!」
ただでさえ濡れ鼠の私を抱きかかえてミスタ・クラウスの服を濡らしてしまっているのに、これ以上迷惑をかけたくない。
けれど彼は全く気にしてないようだった。
「気にせず着ていたまえ。少しは保温になるだろうから。ギルベルト、セントレギスへ向かってくれ」