第2章 うつつのゆめ シンドバット [完]
『シンドバッド王、おそれいります、が、手を離していただけないでしょう、か』
つま先に力がこもる。これでも結構、渾身の力で引っ張ってるのに、びくともしない。大きな男のひとの手と力。
シン「断ると言ったら?」
涼しい顔のまま、王様はすぅっと目を細めた。
シン「この手を離したら君はいつかいなくなってしまう。けれど、このまま寝台まで連れていって俺の子どもを孕んでもらえば、君はこの国から、俺から離れられなくなる」
(どこまで冗談、)
わからない、王様の言葉。ううん、正しく言うなら――本気にしか聞こえなくて、背筋に冷たいものが伝う。
「――わ、わたしは、帰ります!帰らなきゃいけないんです!」
貞操の危機よりももっと差し迫ったなにか、焦燥感のようなものに襲われて、わたしは思わず大きな声を上げていた。
けれど。
シン「何処へ?」
『え…?』
シン「何処へ帰るんだ?」
『そんなの、わたしの国に決まって…』
シン「それは、どんな国?そこには誰がいるんだ?俺よりも、君のことを愛する人間がいるのか?」
『そりゃあ――』
18年間も生きてきたんだから、当たり前じゃないですか。そう答えようとして、はたと言葉に詰まる。
(……あれ…?)
友達。可愛がってくれた叔父さん。生まれてからずっと過ごした家。おとうさんと、おかあさん。とっさに思い浮かべたのはそんな大事なもの。なのにわたしの頭のなかで、どれも、誰の顔も、ぼんやりかすんでいた。まるで、遠い思い出か、目が覚めたあとに思い出す夢のことのように。
(なんで――)
シン「答えが返ってこないということは、まだ俺にも時間はありそうだな」
いつの間にかわたしの手は解放されていて、でも、ちっともほっとしなかった。むしろ、手を離されたことで、事態の深刻さを証明されたような気になる。にこりと笑みを浮かべる王様の目。