第9章 蛍石の道標
「な、成程記憶喪失…」
「で、そんな傷心の女の子襲って怖がらせて泣かせたクズ野郎がこいつってわけだ」
「てめえな」
事のあらましを、妖怪だとか先祖返りだとか、汚濁の話を抜きにしてざっと伝えると、流石に頭を抱えられてしまった。
まあそりゃそうか、この人達にしてみれば関係の無い話だし。
「…それで、なんでこんなところに?最近じゃあ全然中也さん見かけないって話だけど」
『多分それはリアと同棲してるから』
「マジだったのかその噂!!」
『だからね、浮気相手のにおいでも嗅いだらちょっとくらい楽になるかなって思ったの……それ邪魔されたら機嫌くらい悪くならない?』
「そりゃリアちゃんが正しいね、俺ならこいつ殴り飛ばしてる」
「お前手のひら返しがはやすぎんぞ」
全肯定ともとれる篠田さんの言葉はまあ茶化しつつも本心ではあるらしく、なんとなく、気が楽になっていく。
村上さんも村上さんで素直じゃないだけというのは本当のようで、動揺しっぱなしなだけのようだ。
「あのさ、見たところ君いい子っぽいから聞くんだけど、なんで飛び出してきちゃったの?普通に考えて、君くらいの年の女の子が一人でこんな街うろついてちゃ危ないでしょ」
『あわよくば死ねるかなって思ってたけど』
「うわぁ、これ相当だわ。お前とりあえず中也さんに連絡しろよ」
「出来るわけねぇだろ恐ろしすぎて無理だわ」
はい、と篠田さんに選ばれたのはココア。
久しぶりに見るのだけれど、甘い香りが漂ってきて暖かそう。
『…いらない』
「なんで」
『………中也さんに、作ってもらったことないもん』
「…リアちゃんてもしかしてすんごい一途な子?女性陣からは遊び人疑惑しか浮上してないんだけど」
『知んない。勝手にそう思ってれば、興味無いし』
はは、いい子だわやっぱ。
話全然聞いてないなこの人。
「じゃあミルクは?」
『……それなら、飲んでもいいけど』
「おー、良かった。はい、どうぞ」
ちらりと村上さんの方を向いてから会釈だけして、いただきます、とそれを飲んで。
やっぱり違う、誰もが作れるホットミルクの味にまた虚無感に苛まれる。
何もかもが、違うんだ。
だけど、違和感を持っているのも、こんな風にガッカリしてしまうのも私だけ。
あの人には、何の問題もない世界。
私だけが、あの人の中にいない世界。