第5章 蛋白石の下準備
〜???〜
逃げ出したのは、海だった。
人の手の及ばないあの大きな大きな水溜まり。
あそこなら、人間なんかの手にかかることなく私は安息を得られていた。
また今日も失敗したのだ、身の振り方に。
だからこんな目に遭った…洗い流されるような気がして、海に入って、ひたすらに黄昏れる満月の夜。
もう、いっその事純血の妖怪に食べてしまって欲しいくらいだった。
これみよがしに変化して、下半身を魚を彷彿とさせる鱗と尾鰭に変えてしまう。
しかし、妙にその日の夜は静かだった。
その瞬間までは。
劈くような音が耳を刺して、何かと思えば島の方…陸の上に、渦巻くように黒い炎が現れた。
それは物体と言うよりは、現象に近いものだと私は肌で感じ取っていた。
そちらに近づいていくと、見えたのは…何も私が読み取ることの出来ない、感情という概念の欠落した現象だった。
しかし、この悟りの力で煩わしい思いをし続けてきた私にとって、それは魅力的なものでしか無かったのだ。
なんの利害も考えずに、ただただ私を破壊してしまってくれたなら…
いや、そんな事を考えたのは、実際は少し経ってからのこと。
…この感覚に陥ったことがあるのは、遥か遠い昔の、いくつも前の私だ。
圧倒的なその存在を前にして、私はただ…見惚れていた。
その力強さに。
肌がビリビリする。
そんな中、しかしその島には、他に息のある生命があった。
男の人だ、外国から来たらしい。
陸の方へ到着すれば、そこには気を失いそうになったその人と、現象とも呼べてしまえそうなその存在。
ああ、なんて美しいのだろうか。
なんて、逞しいのだろうか。
『…貴方は、何?』
黒い炎が、反応したような気がした。
念の為、鎮静効果の強力な水を纏って近づいていく。
相手の炎は、私には…少し効く程度。
焼けそうな感覚さえもが、愛おしくなる。
『……綺麗』
気を失い切った人間の男の元から、私よりも小さな少年の体が見つかった。
小学生くらいだろうか…綺麗な子。
その子を見やってから、いっその事私をこのまま殺してくれと…安らかに眠らせてくれと、それに触れる。
すると鎮静効果のせいか、それは何故だか大人しくなって、近くにあった少年の体に取り込まれてしまったのだ。
そして最期に、気を失っていたはずの男から、首に銃弾が撃ち込まれた。
そこで私は死んだのだ