第9章 ヘイアン国
引き立てられるように廊下を走る。背後で父の断末魔の声が聞こえた。
廊下の先で、青い顔で様子をうかがっていたマルガリータに何かが飛びかかった。月光に刀身が鈍く光る。
マダムがそれを殴り飛ばすと、陶器の割れる音がして襲撃者は倒れ、動かなくなった。刃物をくくりつけられたマネキンだった。
「おいで、ここから脱出するんだ」
マダムに手を引かれて、マリオンとマルガリータは屋敷から逃げ出した。振り返ると屋敷は燃えていた。まだ兄と母がいたはずなのに。
街は大騒ぎだった。武器を持ったマネキンが手当たり次第に住民を襲っている。国の兵士が応戦しているが、痛みを感じない人形は腕がもげても足がもげても、構わず襲いかかってくる。
「ブラッドリーだ」
舌打ちしたマダムに、マリオンは「誰?」と反射的に聞き返した。
「人形を操る海賊だよ。奴に狙われたらおしまいだ。脱出するしかない」
なぜこのタイミングで――疑問はすぐに解決した。燃え落ちるコマ家の屋敷から悠然と出てきたイナリに、人形たちは恭しくひざまずいたのだ。
(あいつが海賊を呼び込んだ。国を売ったんだ……っ)
マダムの船に乗せられて、混乱の中、マリオンとマルガリータは国を脱出した。
翌日の新聞には、コマ家の次男が跡目を巡って家に火をつけ、国外に逃亡したと載った。国の代表としてイナリの談話まで付いていて、『必ずコマ家の罪人を捕まえて、100年に一度の神聖な儀式を成功させる』と救世主のように書かれていた。
戻れば生贄と一緒に殺される。どんなに悔しくても出来ることは何もなかった。
サロン・キティで雑用をしながら、不眠が続いて暴れる海神の被害を新聞で知るばかりの日々。海神が暴れるのでハルピュイアもシーレーンも落ち着かず、付近の船を襲うようになった。
帰りたくても帰れない。兄が継ぐと思って真面目に神官としての勉強をしたことがなかった。
イナリなんかを王にしたくない。でもどうすればいいのかもわからない。
心の底から王を望んだ。イナリに負けない、神すら認める正当な王が死ぬほど欲しい――。
同じ思いで内乱が起きる。儀式をする気配のないイナリに、神鎮めを求めて武器を取る人々。