第1章 其の血の味は終ぞ知らず
この男は最後まで、私を困惑させる気だろうか。
私はほとんど反射的に腕を振り払う。
「これまで、私の分析が誤ったことはありません。貴方は初めて会った時の印象通り、他人に関心などないはずです。それなのに、なぜ私に構うのですか」
鬱憤を晴らすように一気に捲し立てたところで、はっとする。
目の前にいる男は、そこらの破落戸ではないのだ。
それなのに、あのロブ・ルッチに向かって、感情的な言葉をぶつけるなんて。
私の身体は硬直したまま動けず、頭も完全にフリーズしてしまった。
ルッチは私の手首を、再びがしりと掴んだ。
(やばい…終わった…)
この男の愉しそうな顔が、人生最後に目にする光景だなんて。
「知りたければ来い」
「…は、い?」
「しばらくの間、ここにいる」
ルッチは私の手に何かを握らせる。
おそるおそる手を開くと、鍵が現れた。
このあたりで一番有名な、会員制ホテルのロゴと、ルームナンバーの入った鍵だ。
私は呆気に取られ、鍵を見つめたまま棒立ちし続けた。
一般的に考えれば、これが、何かを口実に意中の相手を誘うシチュエーションであることくらい私にもわかる。
しかし、目の前の男が全く一般的でない場合、どのように解釈すればいいのだろう。
手首から離れたルッチの手は、私の首を、手当したガーゼの上を優しく撫でると、待っている、と言い残し、部屋から出て行った。
がらんとした部屋に残された私は、ひとり立ち尽くす。
昨日の今日でこんな展開になるなんて、途方に暮れる他ないではないか。
考えてみれば、その理由を知る必要はどこにあるのだろう。
昨晩取り乱してしまったことについては、自分の至らなさを洗い出し、反省すれば済むことだ。
分析結果に納得がいかなくとも、まだ一つの事象にすぎない。
ノイズはよくあることで、平均から大きく外れる値は無視して良い。
だから、リスクを冒してまで誘いに乗る必要などないのだ。
理由を知ったところで、私の分析力に影響することはないのだと、私は自分に言い聞かせる。
「……」
それでも、胸の内には予感があった。
私は理由を知りたがっていると。
きっと、私は行ってしまうのだろうと。
プロファイル再構築のためとか、鳩のことを聞きたいのだとか、幾つかの言い訳を携えて。
願わくば、彼の言うその血の味を、知らずに済みますように。