第1章 血玉髄の櫻木
「えっと、たしか、江戸川さん! ちょっと、待って、」
頭の中の憶えたばかりの社員名簿を見て、彼の名前を導き出した。江戸川乱歩。それが彼の名前で、とんでもない名探偵。映は彼について、そんな名簿にも記載できない情報しか知らなかった。
「歩くの早いですよ!」
歩道の真ん中を我がもの顔で闊歩する乱歩にようやく追いついた映は、おそらくは探偵社員の誰もがとがめないであろう乱歩の行動に文句をつけた。
「僕が早いんじゃなくて、きみが遅いんじゃないか」
「ちょ、それ言います? 連れ出されるなんて思ってなくて、履き慣れないパンプスなんですよ!」
──そうだよ。だってわたし、事務員のはずだし。外に、しかも事件捜査になんて行かないはずだったし……!
「そんなの知らないよ。文句があるなら、次からは履き慣れたスニーカーでも履いてくるんだね」
──次があるの!? 終わりじゃないの!? そしてなぜ誰も文句を言わないの……!?
映はため息をひとつついて、さっぱりあきらめた。どうにもならないなら、慣れるしかない。さいわい映はこういった唯我独尊な男は見慣れていた。
──だって、この就職難にクビは絶対路頭に迷う……!
「それで、江戸川さん、」
「──乱歩」
「はい? なんて?」
さっきより断然低く小さくなった声が聞き取れなくて、映は聞き返した。
乱歩は立ち止まって、そして背もあまり変わらない映に目線を合わせてきた。
「乱歩でいいよ。みんなそう呼ぶし、きみも名前で呼んでほしいんでしょ?」
「え、あ、はい」
乱歩の真意がつかめなくて、映は器用に右眉をつり上げた。
乱歩はそれきり黙ってしまったので、そのままふたりは鉄道を利用して事件現場を目指した。その間、会話と呼べるものなどはなにもなかった。
──テンションが高いひとだと思ってたけど、どうにもつかめないひとだなぁ……。