第3章 緑玉髄の魂
「いいよ。その依頼、受けてあげる。そのためにはまず、実在する〝営業部の〟財前羽依理の話を聞かないと」
「……少々、お待ちください」
女性は応接室のソファを立った。その手には白いハンカチを握りしめたまま。きれいに整えられた爪が痛々しいほどに食いこんでいるのが見えた。
──あぁ、この情景を、いつか読んだ。
記したのは誰だったか。〝手巾〟という短篇を。
感情を心のうちに押しとどめ、顔では平静を装いながらも、握りしめたハンカチには、激動をかくしきれていない。手が白くなるほどに握りしめて、ハンカチにしわが寄るさまにも。
──同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。
──ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊く、握つてゐるのに気がついた。
──さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍のある縁を動かしてゐるのに気がついた。
「………乱歩さん、彼女は、」
「必死みたいだねえ。この会社が、よっぽど大事なんだろう。いいや、我が身かわいさかもしれない」
失態を負うのはつらい。責任を負うのもこわい。人間は、そうして生きるものだ。自分を守るには、嘘をつくしかないときだってある。自分を守るには、組織を守るには、嘘をつかなくてはいけないときがある。
やがて、乱歩はぽつりとつぶやいた。
「ここまでことが大きくなってしまったんだ。いずれにしても、僕に嘘は通用しない。彼女は、──
──真実を選んだ」
──婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。