• テキストサイズ

【文スト】球体の鏡より【江戸川乱歩】

第1章 血玉髄の櫻木






映は無意識のうちにあのペンダントトップをにぎりしめていた。不安が映をさいなむ。とにかく、とにかくこの状況が怖かった。あまりにも、〝あのとき〟に似すぎていて。






──おかしい。




櫻木婦人はおかしかった。言っていることはすべて過去の幻影だ。
櫻木の家が栄えていたのはもうなん十年も前のことで、婦人は決して十九には見えない。もっと言えば、櫻木婦人が美しかったのだって、それこそなん十年も前のことだろう。

ふふふ、と可憐に笑ってみせる櫻木婦人をよく見れば、頬はこけ、目は落ちくぼみ、痩せ細っていた。過去の美しさなんて見る影もない。





──まさか。





そんなはずは、と映は考える。けれど、いまの櫻木婦人の状態を考慮すれば、それもなんらおかしいことはない。




──まさか、過去の記憶の中で生きているというの……?





櫻木の家が栄えていたのはなん十年も前。櫻木婦人が美しかったのも、なん十年も前。その時代は、彼女の全盛期とも言えるその頃は、ちょうど十九のときなのではないだろうか。

家は栄え、美しさもかねそなえた櫻木婦人、いいや、櫻木孃をほうっておく男はいなかっただろう。過去の栄光に追い縋って、現実を見ることをやめた……?




「あたくしは美しいの! だからあたくしの誘いを断るだなんて、赦されないことなの! 赦されてはいけないことなの! たしかにあたくしが殺したわ! でもあたくしは悪くない! 悪いのはすべて、分家ふぜいであたくしを蔑んだあの男なのよ!!」




──あなたは私の人形なの。私の分身なのよ。嬉しいでしょう? ほら、笑いなさい。……ちがう! 私はもっと美しく笑うでしょう! あなたは私なの! 美しくなければ駄目なのよ!




映の脳内で、〝あのとき〟といまが重なった。どこまでも〝美しさ〟に固執する〝あのひと〟は、櫻木婦人によく似ていた。美しさを求めて、美しいままいたくて。哀しくて、悲痛な、それは女の性だった。


とことん狂気に満ちた笑い声が響く。櫻木婦人は、いまも現実を生きていない。過去の記憶を現実に投影して、その上から〝いま〟を上書きしている。それは悲しい、過去に縋りすぎた女の末路だった。





「そんなことどうでもいいよ」


口を開いたのは、乱歩だった。


/ 60ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp