第1章 血玉髄の櫻木
「あたくしが知っているのは、この男が深山の分家の息子だということくらい。下の名前までは知らないわ。本家の深山なら別の話ですけれど、分家ふぜいの愚息なんて憶える必要はないものね」
──なんか、変だなぁ。
映は櫻木婦人の言葉に違和感を覚えた。彼女はさっきから、〝分家ふぜいが〟とか、〝深山の愚息〟とか、とにかく被害者の男性を陥れるような発言が目だつ。なんだか、自分と被害男性の間にたしかな格差があるのだと言い張りたいような。
──でも。
映は右眉をつり上げて考える。
──櫻木はたしかに名家だったけれど、近頃は零落したと噂されていたような……。
「ねぇ、このひとさ、舞踏会ではどれくらい人気だったの?」
「おい、探偵屋」
乱歩がいつもと変わらない様子で櫻木婦人に訪ねる。きっとこのひとは、相手がどんな人間でも態度を変えないんだろうな、と映はどこかで思った。
──やっぱり、このひとなら。
「そうね……、見てくれだけはよかったもの、いろんな女に声をかけられては躍っていたわ。ダンスもうまかったし、下卑た女どもにはかっこうの餌よね。最後には決まって接吻を贈られるの。ほんと、──低俗な連中」
まるで、自分はそうではないと言い聞かせるような口調だった。〝下卑た女ども〟〝低俗な連中〟吐き捨てるような言葉にはたしかな悪意がこめられていた。
「それで、きみは躍ったの?」
「は?」
乱歩はそ知らぬ顔で訊いた。櫻木婦人が顔をしかめる。おそらくは、『あたくしは櫻木の主人なのよ』とでも言葉づかいをとがめたいのだろう。
「だから、きみはその深山の息子と躍ったのって訊いてるんだけど」
「………いいえ、」
──そりゃそうよね。あんだけ低俗だのなんだの言ってた相手と躍るわけがないわ。
「へぇー、それは、なんで?」
「なぜ、って、」
「だってきみ、見てくれとか気にするでしょ? その深山の息子は見目麗しかったらしいから、誘うくらいしたんじゃないの?」
使用人のハイリは黙ったままだ。別に櫻木婦人に忠誠を誓ったわけじゃないらしい。
「誘いました、けれど……、断られましたので」