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【文スト】青空の憂鬱、記憶の残響【中原中也】

第7章 サーカス






一時間後。綴と中也は、セーフハウスのひとつに来ていた。

冷たい廊下を歩き、電気をつけると、そこは中也の空間が広がっている。家具のセンスからなにまで中也をかたちづくるすべてがここにある。

綴は五感が敏い。その鋭敏な嗅覚には、ここには中也の匂いが充満しているように思えた。


半開きになった扉の奥に、広めの寝室が見える。




──嗚呼。




綴は処女ではない。ポートマフィアに所属している以上、男女の関係はもはや健全と言えるだろう。

この部屋に来ると、ほかのどの記憶より鮮明に思い出す。

良質なシーツの感触、軋むスプリング、頭上で両手を縫いとめるいとしい指の温度、劣情にまみれた吐息。
与えられる快感と、それに伴う痛み──。

綴は痛いことがきらいだった。森の厚待遇で訓練にはいっさい参加したことがない綴でも、抗争に巻き込まれて銃弾が中ったことくらいはある。それでも、この痛みはこれまでのどれより甘かった。もとより中也に与えられるものなら痛みでも甘受するような女だ。痛みすら、綴の中では幸せに変換されていた。

処女であるために行為に痛みが伴うことは知っていた。それでもどうしてもはじめては中也がよかったし、中也のはじめては自分がよかった。恋仲でなくたって、この記憶があれば自分は中也と繋がっていられるから。

だからあの日、結ばれたことは人生でいちばんの喜びだった。





──ぞくぞくする。




きっと今夜は、〝そういうこと〟にはならない。けれど、綴の記憶の中でも多くの体積を占める中也との閨事を思い出してしまって。




──駄目だなあ。




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