第3章 chapter 3
智くんのことを覚えてないという、フリをして逃げてから1時間半ほど時間が過ぎ去っていた。
その1時間半前まで智くんがいた場所に、走って向かう。 もう居ないと思っていた。 突然現れた君を見て逃げ出した俺の事なんて、呆れてもう立ち去っていると思っていた。なのに…。
「居た…っ」
彼は、さっきと同じ場所で野良猫と戯れながら、途方にくれているような顔をして、そこに居た。
その横顔を見ると、言いようのない感情がふつふつと湧き上がってくる。
目頭が熱くなるのを感じながら、俺は早足で歩み寄った。
「智くん…っ!」
「――っ!」
急に大きな声で呼ばれた彼は、肩を揺らしながら何事かと俺の方を驚いた表情で見上げた。でもそれはほんの一瞬で、俺の意図を読み取ろうとする表情に変わった。
恐らく彼は、どうして戻って来たのか聞きたいんだろう。
案の定、野良猫を撫でていた手を離して、ゆっくりと立ち上がった彼が第一声で放った言葉は…。
「どう、して…」
俺は、智くんの前に立って、当時と変わらない彼の姿を食い入るように見つめた。
「君に聞きたいことがあって、来たんだよ…」
何とか声を絞り出して、言葉を紡いでいく。 自分でも驚く程小さな声にしかならなくて情けない。
それでも智くんは、顔色ひとつ変えずに俺の話を聞こうとしてくれている。
そんな彼は、どこからどう見ても…。
「生きて、いたんだな…」
俺は、その言葉を発した瞬間、自分の頬に熱い雫が伝い落ちるのが分かった。 こんな事で泣きたくはないのに、俺の気持ちは想像以上に、脆くて弱かった。
零れる涙をそのままに、智くんを見ていた俺に、彼はふんわりと微笑んで、あの時と変わらない声音で言葉を吐いた。
「これが死んでるように見える…?」
軽く両手を広げてみせて、俺に微笑んでいる。
「見えない、見えないよ…」
「わ…っ」
そんな智くんを俺は、強く強く…消えてしまわないように、腕の中へと閉じ込めた。