第1章 おねがいごと/ベックス
「…もちょっと近くで見てていっすか」
「ええっ?! いや、今の聞いてたでしょ? 見られると恥ずかしいんだってば」
「照れるアンタも可愛いっスね」
「もう、またそうやってからかう!」
「からかってねぇっすよ。本心です」
「もう……」
あっちへ行って、と言われる前に俺はずかずかとキッチンへ入り込んだ。
さんの真後ろに陣取って、彼女の一挙一動を見逃すまいと彼女を頭上から見下ろす。
「ようやく出番っすね “たまごやきき”」
「うん。…ね、ベックスは甘いのが好き? しょっぱいのが好き?」
「?」
「卵焼きの味の話。甘い卵焼きがいい? しょっぱいのがいい?」
「飯と一緒に食うんならしょっぱい方っすかね。あ、でも甘いのも食ったことねぇんで食ってみたいっす」
「そっか。じゃあ2つ作るね」
ボウルに卵を割り入れて、かき混ぜる。
『卵焼き』というからには、オムレツのようなものだろう、とマーフィーが言っていた。
だけどさんはマーフィーがやったほど卵を混ぜることはせず、まだ白味が残った状態のまま“たまごやきき”に溶いた卵を流し込んだ。
「白味、残ってたけど」
「卵焼きはね、白味が残ってるくらいの方がふっくら出来上がるんだ」
「へぇ。そうなんすか」
ジュワッといい音がして、卵がくつくつと踊る。
「ちょっと火強すぎたかな」
言って火から“たまごやきき”を離して、さんは膨らんだ黄色い膜を一つずつ丁寧につぶしていく。
そのまま観察していると、今度は器用に焼けた卵をくるくると端から巻いていく。
そしてまた卵液を流し込み、膜を潰し、巻く。
それを幾度か繰り返して、卵焼きは出来上がった。
まな板に置かれた卵焼きに、さんが包丁を入れると、断面は黄色と白色の綺麗な渦を巻いていた。
「綺麗っすね」
「ありがとう。ベックスのおかげだよ、こんなに素敵な卵焼き機作ってくれてありがとう!」
「期待に添えて良かったっス」
「無理言ってお願いしてごめんね」
「全然。アンタのお願いなら、なんでも聞きますよ、俺」
だから、その笑顔を他の男に向けるようなことしないでくれ。
……なんて冗談めかさずハッキリ言えたら。
どうして肝心な時に、素直に気持ちを伝えられないのか。
自分の意気地のなさに嫌気がさす。