【尾形】うちの庭が明治の北海道につながってる件【金カム】
第8章 第七師団
明治の文明開化に伴い、1900年代のこの頃には、すでに『牛丼』『親子丼』と100年先まで残る料理が完成している。
だがカツ丼はまだ。
一般にご飯と揚げ物は別々に食べるもの。一緒にずるずる食べるのは難しい。
卵とじ法の考案まではあと20年近く待たねばならない。
――ということにはなっていますが。
『いや記録に残ってないだけで、絶対誰か先に作ってるだろー!』という説を梢さんは猛烈に推す。実際、カツ丼の誕生には諸説あるそうな。
なので1900年代に卵とじカツ丼が堂々登場することとなりました☆
まあ作るのは今日が初ではない。以前に三人。私のカツ丼を食べていた人がいる。
『二階堂という部下がいるのだが、事故で右足を失って以来、気落ちして食事もろくにとらない有様でね。
そのとき思い出したのだ。前山一等卒が、君の作った料理が忘れられないと言っていたことを』
私はちょっと前、見舞いの際に鶴見中尉に頼まれていたのである。
窓の外は初夏の陽気である。私が前回、元の時代に戻ったのは桜の花の咲く頃。
そんな頃に部下がチラッと言ったことを、よく覚えてるな鶴見中尉。
そして、そんな言われ方をされたら私が断れないと、よく分かってるな。
……前山さんも江渡貝もすでに亡くなっている。炭鉱の事故に巻き込まれたらしい。
病室でそれを聞いたとき、私は激しいショックを受け、泣きだして止まらなかった。
月島さんは慌てて私を抱きしめ、前山は勇敢に戦ったとか、江渡貝は苦しまずに逝ったとか必死にフォローしていたっけ。
……炭鉱の事故で『戦った』って何だよと思ったけど、ツッコミは止めといた。ただ彼らは本当に、生死に関わる争奪戦をしているということだけは実感出来た。
夕張にいたとき。私は三人をねぎらって時々カツ丼を出し、そのたびに絶賛を受けていた。
私が親族に迎えに来られ、夕張を去った後(私が花見中に蒸発したことについては、そういう説明になってるそうな)、前山さんはカツ丼を懐かしんでたらしい。
あちこちの食事処を回って同じ物を探したが、ついに見つからず残念がっていたそうな。
……それを聞いてきりきりと罪悪感が。
すんません。私が二十年早く、時代を先取りしたばかりに。